ここは、どこ?
マイリーヤは、突如迷い込んだその迷宮に、強烈な違和感を覚えて震えた。
きょろきょろと辺りを見回す。
そこは「森」だった。
ただし、故郷、見慣れたフォーリューンの森の古木ではない。
薬物中毒者の幻覚かと思われるような、妙にサイケデリックな色合いの、ねじ曲がった奇怪な森だ。
こういう画風の画家の絵を、前の世界で見たような気がする。
どういうことだろう。
ボクは、遺跡の研究所エリアにいたはずじゃないのか?
「……イティキラ? レルシェ? 太守さん? ジーニック? ……ゼーベル……?」
周りに誰もいない。
おかしい。
確かに六人でいたはずだ。
目を落とす。
手には、いつもの魔導銃ダウズールが握られている。
敵に捕まり、武器も取り上げられてどこかに……という線ではないようだ。
では、どうして。
マイリーヤはふわりと翅を動かして浮き上がり、羽毛のように宙に浮いた。
とにかく、みんなを探さないと。
森の中だし妖精族の飛翔能力なので、ハヤブサのようにとはいかなかったが、歩くよりは大分速い速度で、マイリーヤは進んだ。
ふと――
空間が開けた。
「えっ……」
思わず頓狂な声が出る。
そこにあったのは、見覚えのあるあの故郷。
森の一角にあった、あの木造の建物が並ぶ、「あの」フォーリューン村だった。
「どういうこと……なんで???」
あの焼けぼっくいしか残っていない村の記憶が甦り、マイリーヤは目をぱちぱちさせた。
確かに、村は……
『全く、あの子が出て行ってくれて、悪いけどほっとしたわ。あんな調子でいつまでも村にいられたら、ねえ……』
急に聞き覚えのある声で、そんなセリフが飛び込んできて、マイリーヤは固まる。
村に幾つもある井戸の脇に立っている、その人影。
母のシェイリーテだ。
そして、近所の見知った奥さんたちが周囲を取り囲んでいた。
『シェイリーテちゃん、本当、あの子の子育てでは苦労してたもんねえ。お疲れ様。後はまともな男の子一人だし、気が楽になったでしょ?』
そんなことを、いつも自分を心配していてくれた……と思っていた、近所の奥さんが口にする。冷酷でぞんざいな、半笑いの口調で。
『そうねえ。跡継ぎさえ確保できれば、うちはそれでいいから、特にあの子がいなくなっても困らないし、本当に良かったわ。あの子があんな変な夢の話ばっかりする子じゃ、下の子まで変に見られて迷惑だしねえ』
母のやれやれという呟きが聞こえそうな口調に、マイリーヤは真っ暗な穴に落下していくような気分に囚われる。
弟が、いた。
例の夢の話をすると、年頃だけあってか、馬鹿にしてきた弟。
しかし、彼がそんなことをマイリーヤに言おうものなら、母が飛んできてきつく叱っていた。
姉さんに、そんなことを言うもんじゃありません!!
……そうか。
本当は、母さんにそう思われていたんだ、ボク。
それ以上聞いていられず、マイリーヤは身を翻して森に戻った。
行くあてもなかったが、どこかに行きたかった。
もしかして、ここは過去のフォーリューン村じゃないかな。
マイリーヤは漠然と、そんな風に思った。
過去にしては、風景といい雰囲気といい、おかしいのだが、すでに彼女は正常な判断力を失っている。
『いやあ、おかしな子だったが、さすが長の娘。野盗を追っ払ってくれたのは、助かりましたねえ。おまけに、変な女について、この村から消えるっていうおまけつきで』
嘲笑を含んだそんな声も、聞き覚えがあるものだった。
木々の間に身を隠し、マイリーヤは、村の猟師たちが使う獣道の様子を観察した。
そこをゆったり歩いてくるのは、狩りの獲物を担いだ、村の男たち。
その中心にいるのは。
「父さん……」
微かな、自分にしか聞こえぬ声で、マイリーヤは呟いた。
『全くな。英雄カルカランの末裔に、気狂いが出たとあっては、末代までの恥。外聞も悪い。村全体の評判まで悪くなるから、冷たく当たって出ていくよう仕向けていたのだが、ようやくだ』
笑い声は、その毒々しい言葉は、一番聞きたくない声で聞こえた。
父さん。
見間違えるはずもないその人物は、隣の獣佳族の若者に向けて笑いながら続けた。
『あの野盗にさらわれて、どこか遠くの金持ちにでも売られることを期待したのだが、邪魔が入ったからな。ま、邪魔と思ったものが、あのお荷物を持って行ってくれたのだから、感謝せねばなるまいが』
……。
そうか。
ボクは、父さんと母さんに、そんな風に思われていたんだね。
あの、村を救った時に感謝してくれていた言葉なんか、嘘だったんだね。
辛い時間は、妙にゆっくり流れるような気がした。
マイリーヤは、身を翻した。
自分には、居場所がない。
故郷に、家族に拒まれている。
帰る家がない。
この旅が終わったら、どうすれば……
……
そうだ、仲間は。
みんなはどこに行ったんだろう。
溺れる者が空気を求める必死さで、マイリーヤは仲間の姿を求めようとした。
「イティキラ。レルシェ。太守さん。ジーニック……ゼーベル!!」
最後の名を口にした時、視界が急に明るくなった。
……鼻を、潮の香りがくすぐっていることに、マイリーヤは気付いた。
ここは。
「……スフェイバ……?」
そこは、故郷とは何もかも違う街。
ルゼロス王国の、スフェイバだった。
行きかう人々の種族が、龍震族に圧倒的に傾いているのも、記憶に合致している。
「ここも……過去のスフェイバなのかな?」
きょろきょろと見知った姿を探し求めている時、マイリーヤの目に、懐かしいと言える後姿が飛び込んできた。
背中に太刀。
紅い跳ね返った長髪。
そして、蛇魅族特有のゆったりした衣装。
何より……鮮やかな紅色の鱗に覆われた、下半身の蛇体。
「ゼーベ……!!」
声をかけようとしたその時。
『よう。待ったか?』
マイリーヤには、ついぞかけてくれたことのないとろけた声で、ゼーベルがそこにいた「誰か」に、声をかけた。
「……え」
マイリーヤは、固まる。
そこにいたのは、きらきらした雪白の髪と、神秘的なまでの白い鱗の……見たことのない、美しい蛇魅族の女性だった。