「設楽くんはぁ、武術って具体的にどんなのやってんの?」
妙羽は休み時間が来ると、窮屈そうに長い脚をスチール机からはみ出させている冴に、そんな風に話しかけた。
両手で頬杖をつくようにして、冴を覗き込む。
「……全般だ。素手で組み打ちするような柔術から、剣を使うやつ、槍を使うやつ、小太刀を使うやつ。ま、昔の侍がやってたようなことだな」
癖のある髪を手櫛でかき上げる冴に、妙羽は目をぱちくりさせる。
「素手と剣はまだ分かるけど……槍!! 小太刀!!! マジ……!? そんなの教えてるとこあるのぉ……?」
マジで武士系男子だ……!! と妙羽は目を白黒させる。
「神社なんだが、古武術も教えてるとこがあってな。ガキの頃から、嫌ってほど鍛えられた」
一瞬浮かんだ苦々しい冴の表情に、妙羽はわずかに不審を覚えたが、追求するのはやめておいた。多分、つつき回さない方がいい分野だろうと予想する。
「あんたは」
不意に冴から鋭い視線を向けられ、妙羽はきょとんとする。
「はい?」
「あんた、何だかみんなに拝まれてたみてえだけど、あれ、何のゲームなんだ? 今、こっちで流行ってんのか?」
口調は気楽なものだったが、何だか向けられている視線がやけに鋭いような気がして、妙羽は胸がざわついた。
「妙羽はね、招きっ子なんだよ!! 幸運の神なんだ!!」
妙羽に変わって冴に説明したのは、涼香だった。他のクラスメイト同様、冴を怖がる様子のあった涼香だが、妙羽が気安く話しているのを見て、思い切って話してみようと思ったようだ。
「幸運の、神……?」
じいっとまさぐるような視線に、妙羽はちょっと首をすくめる。
「……何か、私、運がいいみたいで。周りにいる人にもちょっと影響するみたいなの。招き猫、みたいなもん、かなぁ~~~……」
招きっ子ってあだ名はそこからだよ、と告げると、冴の眼光がますます鋭くなった。
この人どうしたんだろうなあ。
つか、この人に「何かある」って何だろ?
妙羽は、自らの特別な力と思考を隠しながら、何気ない顔で冴を見返した。
「お前さあ、祝梯の隣の席になったんだから、近いうちに何かいいことあるぜ。金とか、拾うかもな?」
勇樹が冗談めかして「最近あったいいこと」を開陳し始めると、冴は割と真面目に耳を傾け出した。
妙羽と冴の周囲にいつもの連中が集まってきて、がやがやと盛り上がる合間に、冴から投げかけられる鋭い視線に、妙羽は奇妙な感覚を抑え切れなかった。
◇ ◆ ◇
「これで、新校舎は全部だけど。本当に旧校舎も回る? 本当にもう全然使ってないけど?」
放課後、光が蜂蜜色を帯びる頃合い。
妙羽は、ぐるりと回った新校舎の一角で、冴を振り返った。普通教室棟から特別教室棟を回って、中庭を一巡するように、また普通教室棟に帰ってきてすぐである。
「ああ。案内してくれ。気になってる」
妙羽に校舎の案内を頼み込んだ冴は、そんなことを言い出した。
「気になってるって? え? この学校初めてだよねえ?」
どういうことだろうと妙羽が訝しむと、冴がふと顔を近づけてきた。近い。
「……旧校舎ってとこ、何か『出る』とか、そういう話ないか……?」
ひそめられた声に、妙羽は思わず反応した。
「えっ……幽霊とか? ……あー、まあ、それらしい話なら確かに……」
取り壊し間近、一応鉄筋コンクリート造りでも老朽化しまくって、壁がはがれて落下するからという理由で生徒の接近すら基本的に禁じられている旧校舎。
そこには確かに、いかにもな幽霊話がくっついていた。
曰く、理科室でいじめ自殺した女生徒の幽霊が、縄にぶら下がった姿のまま校舎内を徘徊している。
曰く、部活中に突然死した男子生徒の亡霊が、自分が死んだことも気付かぬまま、部室で道具の手入れをしている……等々。
その話は、半分本当で、半分は嘘だ。
世間的に誤解されているが、いわゆる怪談のネタになるような種類の「幽霊」は、その人物の「影」のようなもので、その人物の魂そのものではないのだ。
それは死後も残る思念の残滓に過ぎないものであり、まさに影、というか、その人物が触れた場所に残る体温の名残みたいなものである。
一般的に想像される、その人物の人格の中核をなす霊的なエネルギー体「魂」が丸ごと残っているのとは、訳が違う。
勿論、魂そのものが人間に観測可能な範囲に残留することは皆無ではないが、その場合はただの「幽霊」とはかなり性質が異なる。
とにかく、ただのぬくもりの名残でしかない「幽霊」は、時間の経過と共に消え去るし、大体の場合触らなければ無害だ――そう、触らなければ。
「祝梯って、幽霊とか信じる方か?」
鞄を持ったまま昇降口を出て、グラウンドを横切って旧校舎へ向かう途中、冴はそんな風に尋ねてきた。
「え? まあ、割とね。そういうのいた方が面白いとは思ってるかなあ。まあ、祟られるとかは嫌だけどぉ」
学生鞄をぶらぶらさせながら、妙羽はのほほんと返す。
実際にはそれどころではない。
一般に幽霊と呼ばれているものの大部分は、死後に三次元空間に残留した人間の余剰「霊子《れいし》」の一部であり、死の直前の思念からの刺激よって方向性が規定されて空間中に拡散せず、規定された形状と性質のまま個別性を保ち続ける……などという理論の話をしても、冴はまずついてこれない。従って、無難そうな答えを返しただけである。
しかし。
冴がそれに返したのは意外な言葉だった。
「俺は、見たことがある。見たどころじゃねえな。襲われたことが何度もある」
冴は白い歯をちらりと見せて笑った。苦い笑みだった。
何か胸が突かれたような気がして、妙羽は立ち止まった。
「え……」
「あいつら襲ってくるんだぜ。その辺漂ってるようなのなら比較的簡単なんだけど、世の中には、そんなの目じゃない、格上の化け物もいるからな」
妙羽は目をゆっくり瞬かせた。
「格上の、化け物……」
「いわゆる妖怪っていうのかな。祀られていて、神の肩書がくっついているようなのもいる。最初からカミサマでも、何かのきっかけで堕落したのとか」
冴は苦く凶暴そうな笑みを見せた。
「あんたは、そういうのに出会ったことはないか……?」
胸がどきどきした。
無論、恋のときめきなどではない。
心臓が重い音を響かせる。手足が冷たいように感じる。
妙羽は、頭を振った。
「何それ。変なこと言うねえ」
見事に訳が分からないという少女らしい声音が出る。
冴は声を立てて笑った。
「変なこと、か。そうかどうか、もうすぐ分かるな」
再び並んで歩きだすと、すぐに旧校舎の煤けた壁が目前にあった。
「あ、あんまり屋上の張り出しの下に入らないでね、壁がはがれて落下することがあるみたいだから」
土埃でまだらになったタイルの階段を駆けあがり、妙羽は正面の通用口に取りすがった。
「駄目だ。やっぱり、鍵、かかってるよ?」
冴を振り返ると、彼は旧校舎の脇の荒れた隙間を見やっていた。
「……裏口かなんか、あるか?」
「? よく知ってるね? 入れるって話だけど、今はどうかな?」
その話が出たのが、妙羽の入学直後。多分、鍵は閉められていると思うのだが。
「行ってみようぜ」
妙に活き活きと、冴は妙羽の腕を引いた。
草がぼうぼうと生えた、湿った校舎裏に回るや否や、妙羽は固まった。
「お疲れさまでした、主様」
「へえ、案外簡単だったんだな?」
眼鏡の端正な若者と、顔に傷のある大柄な青年が、そこにたたずんでいた。