「やったぁーーー!! 着いたぁーーー!!!」
きゃあきゃあと歓声を上げるイルシャーの目の前には、地球で言うなら、建設に数世紀をかけるというスペインの寺院に似た、尖った建造物がそびえ立っていた。
この惑星の帯状大地を支える鉱物、黒金色のセモリニ岩を使用した巨大な寺院、それがこの「フジュールの寺院」だった。
この惑星の下層第二層では、上方の大地の帯に遮られて、太陽の光が届きにくく、「下層の夜」の時間が長い。
しかし、惑星の核からの魔的な光――核光《かくこう》が上層の大地底面に反射したもの、核照《かくしょう》で、第二層はいつも不思議な仄明かりに照らされている。セモリニ岩の含有物が目くるめくような光を跳ね返し、第五層から仰ぐ夜空とはまた違った、玄妙妖美な夜空が現出するのだ。
「いや、ようやく着いたか」
今の今まで振るっていた「紅神丸」を肩にとんと担ぎ、冴はふう、と吐息を洩らす。
「第一の目的達成……だね。うん」
後ろにいるカニネス、ミディワルには聞こえないよう小声で、希亜世羅は呟いた。彼女の周りを取り巻いていた攻撃的魔力がすうっと引いていく。
「ふう。ようやくですね……」
今の今まで反衝撃結界を張ってイシャールたちの安全を確保するのがもっぱらの役目であった莉央莉恵は、多少肩の荷が下りた表情だ。
「しっかし、こんなに物騒なところに寺院おっ建てるとはねえ。……昔の……昔のクレトフォライ人ってのは感心するねえ」
思わず故郷の、絶壁に嵌め込むように建立されている神社などを思い出し、うっかり口にしそうになって、棘山は咄嗟に言い直す。彼は山の神である神猪の姿になれないので、もっぱらイルシャーたちのガードに回っていた。
「ほんとにゃー。なんかこう、何か戦いに関する功徳がえらい溜まってそうなくらいに戦ったにゃー。主に希亜世羅様と冴にゃんが」
本当は「レベルアップしそうにゃー」と言いたいところをそう言い換えて、伽々羅はふにゃんと可愛い息を吐いた。彼女も宇宙猫姿になれないので、棘山たちと同じくガード側だ。
はっきり言って、寺院周辺は人外魔鏡だった。
魔照獣は数が多い上に、上層のものより一回り大きく、そして凶暴だった。
このクレトフォライの文明レベルは高く、下層の寺院となると強力な兵器を多数揃えているとは言え、ここで生活しなければならない聖職者の緊張感は思いやられる。地球で言うならジュラ紀の哺乳類みたいな気分であろう。
「いっくぞぉーーー!! これであたしも最上位巡礼者だーーー!!」
イルシャーが、巨大な寺院の正門に突進した。
彼の者のお付きがたしなめる間もなく、ギザギザ線と湾曲縞模様、そして円で装飾された正門警備に当たっていた僧兵に停止を命じられる。彼等は巨大な門楼上の見張り台で射撃武器並びに魔法具らしい槍状のものを構えているが、イルシャーがあらかじめ来訪の申請をしていた巡礼者だと告げると、門の脇にある個体識別装置で照会するようにと命じられた。
これは、地球で言うならネットと連動した個体認証装置のようなもので、あらかじめ上層の宗教施設で個体識別情報――目など肉体数か所のデータと、魔力の波長――を登録しておくと、下層の宗教施設でそれを受け付け、巡礼者として認定し、巡礼を認可してくれる。
さっくりとこれをパスしたイルシャーが寺院内部に通じる魔力障壁の一時通過権を与えられ、希亜世羅や冴たちもそれに続く。
どんな攻撃も通さない、堅牢な魔力障壁は、巡礼と認めた者に一時身を開く。
虹色の光を通過したら、そこには暗い天にそびえるかのような寺院。
通常の門扉の他に、疑似的に「神の世界」に続くとされる装飾的な巨大扉が正面に彫刻されている。
緊張しながらも、イルシャーは自らの手で正面扉に手をかけ、最初にくぐった。
普段は信仰など気にも留めてないかのように見えるお気楽過ぎるイルシャーだが、それでも彼の者は聖なる星クレトフォライの子なのだ。精神の奥底に、神への畏怖は染み込んでいる。地球で言うDNAレベルで、だ。
後はスムーズだった。
最初から手順など、クレトフォライ人だったら赤子でも知っている。
巨大なドーム型礼拝所で、正面の神像に祈りを捧げながら待つ。
その神像が、クレトフォライ風にアレンジしてあるものの、希亜世羅その人の像だというのは、一行の全員に分かった。
『なんかこっちのお前、だいぶこう、細っこくなったてえか』
『な、なんか妙なこそばったさがあるね……えへへ』
冴と希亜世羅がそんな会話をしているとは知らずに祈り続けるイルシャーの前に、礼拝所脇の扉から最高司祭であろう人物が歩み出て来た。平均よりはやや大柄な、タイプCの人物だ。ゆったりした暗いが艶のある色合いを多重に重ねたローブ状の衣服を身に着けている。
その後は簡単と言えば簡単、難しいと言えば難しい。
最高司祭による信仰心を確かめるための問答があるのだ。
ここは、正直イルシャー以外の一行の誰もが心配していた部分だ。
例えば最高司祭に「何故ここに巡礼をしようと思い立たれましたか?」と質問され、まさか「兄弟姉妹との事業相続争いに勝つため」とは答えられない。
しかし、心配していたその質問が案の定繰り出された時に、イルシャーが返した答えは。
「偉大なる希亜世羅様のお側に近づきたかったんです。今、あたしは怖いことや心配なことが沢山あります。でも、希亜世羅様の御威光に少しでも近付けば、そういうものすら、あたしの祝福になると思えるんです。本当は、第一層にまで降りて、伝説の『神の門』に触れたいくらいなんです」
率直な調子に、嘘は感じられなかった。
確かに、兄弟姉妹との相続争いの勝利も、ここに来た目的ではあろう。
だが、実際に希亜世羅に助けてもらいたかった、という、幼子のように純粋な気持ちもあるのだ。
希亜世羅が、いわば威光を利用されている立場でありながら、一度もイルシャーに非難がましい目を向けなかった事実の理由を、冴はようやく納得した。
「希亜世羅の子イルシャー、あなたを最高位巡礼者と認めます。さあ、祈具を」
最高司祭が宣言し、後ろに控えていた下位の司祭の手によって、地球でいうなら数珠やロザリオに当たる祈りのための道具が、まず最高司祭に、そしてその魔力波長を記録させてから、改めてイルシャーに手渡された。
これは、魔力と信仰心でおおよそのことが決まるこのクレトフォライで、絶対の権威の印になる。
偽造の類のことをすれば厳罰に処せられるし、一般の技術では偽造そのものも難しい。
七角のメダルの先端にぞれぞれ半月型の宝珠が付いているその祈りのための道具を、イルシャーは押し戴くように受け取った。皮膚の青みが増しているのは、興奮している証拠だ。
最高司祭は、イルシャーに祝福の言葉をかけた後、真後ろの席の希亜世羅に声をかけた。ここでは彼女も「普通の巡礼者」に見える。
「我が子よ、あなたは……」
「希亜世羅の名によって命じます。この寺院の奥、第一層に繋がる『扉』を開きなさい」
最高司祭の言葉をぶった切るように放たれた、あまりに非常識なその言葉に、最高司祭本人はおろか、イルシャーたちまでぎょっとした。
「なんたる冒涜!! 一体あなたは……!!」
流石に色を失った最高司祭の目の前で、希亜世羅は自らの神使たちに目配せした。
ぶわりと、光の帳が広がった。
一瞬だけ目を閉じた最高司祭の目の前に現れたのは、まさに神像と同じ――希亜世羅神その人だった。
光と叡智そのもののような、その姿。
彼女は、今まで厳重にかけていた「心理的変装」をいきなり解除したのだ。
姿のみならず、神威も。
ここの聖職者たちが日々祈りを捧げ、その断片を受け取っている「希亜世羅神の神威」そのものだ。
人間にはこれはできない。
誤魔化しようがない。
最高司祭が腰を抜かし、へたりとその場の石の床にへたり込んだ。
彼女を取り巻く、彼女の神使たちも、ようやくその姿を解放していた。
龍の血を引くかのような冴。
玲瓏たる神の片腕、莉央莉恵。
宇宙猫の姿に戻れてほっとしている伽々羅。
そして、冥府の岩山のような神猪、棘山。
「ごめんね、イルシャー。どうしても言う訳にはいかなかった」
希亜世羅は、呆然としすぎて意識が朦朧としているらしいイルシャーに微笑みかけた。
「あなたが求めるものは、すでにあなたと一緒にいたの。これからの人生、あなたはそういう幸運が続くと思うよ。そういう人だよ、あなたは」
まるで友人に話しかけるような調子で祝福を与えている時に、魔力鐘の激しい乱打音が聞こえた。
これも、クレトフォライ人なら知っている。
宗教施設に外敵が近付いてきた時。
この第二層では、具体的には、魔力障壁も破りかねないような魔照獣。
「私たちが片付けてくる。司祭さん。カニネスさんとミディワルさんにも最高巡礼者の祝福を。私が認定したから手続きは省略していい。それから、最初に言った通りに、第一層に続くこの寺院奥の『扉』を開けておいて」
その言葉を最後に、希亜世羅一行の姿が消えた。
転移したのだ。
転移先は、この寺院に迫る魔照獣の真ん前。
「うっひょお!! 大きいにゃー」
宇宙猫形態の伽々羅が、目の前の巨影を見上げて嘆声を上げた。
今までの魔照獣とは、桁の違う大きさ。
地球の生物なら、最大級の恐竜くらいありそうだ。
全体的には、鼻が二本ある牙だらけの象、といったところだ。
触手のような鼻の先端にも、牙と言うか爪のような鋭い突起が突き出し、攻撃の用を果たす。
纏う魔力も膨大で、周囲の魔力流が嵐のようにかき回されるほど。
「デカブツってだけでは、足りねえなあ!!」
冴が、翼を広げて飛翔する。
魔照獣が吼えると、その膨大な音に混じって攻撃的魔力塊とそれが更に凝縮した針状のものが、弾丸のように射出された。
紅神丸を一振り。
それだけで、紅い衝撃と共に魔力塊と針が霧散し、押し戻されて魔照獣の顔面に、巨大な傷を刻んだ。だらだらと青緑の血が流れる。
「戦いってなあ、こうやるんだぜ!!」
棘山が、久々とばかりに背中の針を追尾ミサイルのように飛ばす。
最初の一撃で反応の遅れた魔照獣に、ガトリングガンのような勢いで突き刺さる。
同時に毒蛇の毒のように攻撃的霊気が注ぎ込まれ、未知の危害に、魔照獣が悲鳴を上げた。
「にゃーーー!!!」
出鱈目に振り回された巨大な鼻に、伽々羅が軽く爪を振るう。
まるでそれが空間に数十倍に投影されたように、衝撃が広がり、その鼻をばらばらに斬り飛ばした。
「さよなら。あなたが役目を果たしているのは、ちゃんとわかってるよ」
妙に優しい声で。
ふらふらになった魔照獣の頭上で、希亜世羅は優雅な両腕を広げた。
突如生まれた巨大な光の乱反射が、魔照獣を串刺しにした。
光の当たったところから夢量子レベルに分解され、魔照獣の巨体は光に溶けるように消えて行く。
「2型魔照獣、消滅確認。事前の指示通り、第三層との第4レベル神威障壁で保護された通路を設置しました」
莉央莉恵が、冷徹な声で宣言するのが聞こえた。
遠くに見える、光の柱。
「さて。巡礼者認定くらいは終わったかなあ?」
いつもの気楽な調子で、希亜世羅は振り返った。
彼女を保護し祝福するように舞い降りる、冴の翼のはばたきが静まり返った周囲に響いた。