4 彼の正体
「塩野谷さん。見えますか」
あの「獣」が、玻琉の声で呼びかける。
ややくぐもっているのは、あの怪物をくわえているからだろう。
大型の肉食獣が獲物をひきずるのとそっくりに、あのか遺物を口にくわえたもう一方の怪物が、車の前まで近づいて来る。
「え……村雲……さん……」
光彩はもう色々と麻痺したぼんやりとした目で、その人間より大きな「獣」を見つめる。
表面は毛皮というより、金属のようなつややかな何かに覆われている。
様々な色彩が幻のように浮かび上がるその文様は、隆々とした筋肉の隆起に沿う。
がっちりした四肢の先は、剣状になっており、クロムのような黒銀色に輝く一本きりの爪が、地面を押さえる。
獅子にも、狼にも、熊にも似る荒々しい獣の顔の中に、まるで宇宙を閉じ込めた宝石のように輝く目は三つもある。
ぞろりと金属としか思えない牙。
ゆらゆらと揺れる尻尾は、体長の倍はありそうな長さであり、その先端はどう見ても、ガトリンク砲のような砲身にしか見えない。
背中にステンドグラスを思わせる色鮮やかな翼。
コウモリの羽どころか、航空機の一部である。
これはなんだ。
これがあの村雲さん?
光彩は呆然としながらも、あの怪物に付きまとわれていたような恐怖心は湧いてこないのに気付く。
その鮮やかな怪物が「味方」だと、自然と認識しているのだ。
「こいつは下等な『モノ』ですね。下等と申しましても、一般人には十分脅威となる力は持っていますが」
獣の姿のまま、玻琉はその黒いモノをアスファルトに放り出す。
ぐらりと長い首が揺れて、光彩はぎくりとする。
そいつの見た目は、さながら現代絵画の手法で描かれた手長猿のようだ。
どことなく人間に似ていなくもないが、手足や尾が無理やり引きのばされて黒く塗り潰されたよう。
顔……と言うべきか、恐らく感覚器官であろう何かがしらじらと光りながら、めちゃくちゃな配置で放り出されている。
「モノっていうのはですね」
央が耳元で解説してくれる。
「とんでもなく物騒なこと考える、ちょっと高級な悪霊や、そいつらを使っている悪どい人間に、使役される下等な化け物みたいなモンです。大体の場合、塩野谷さんみたいに目を付けた人に危害を加える目的で放たれるッスね」
光彩ははたと振り返り、央を見据える。
「このお化け、私に危害を加えるために、わざわざここにいたってことなんですか!?」
央はうなずく。
「そういうことッス。基本的に監視してたんでしょうが、スキがあったらどっかに連れ去ろうとしてた可能性が高いッスね」
脇の下に冷や汗が滲むのを、光彩は感じる。
改めて、玻琉に向き直る。
「村雲さんは……何でそういう姿に……」
「ああ、わたしは単に人外であって、モノではありません。一見似たようなお化けに思えるかも知れませんが、人外は人間と同等かそれ以上の知性がある者が多いですし、そう簡単に人間に危害は加えませんよ」
これでも、それなりに由緒正しいヌエの一族なんですよ?
やや冗談めかして獣が口にすると、光彩は思わずしげしげ彼を観察してしまう。
ヌエというと、学生時代のテキストに登場したのだっけ。
なるほど、人間でないけど身元は明らかという訳である。
「まあ、これでこの個体は駆除した訳ですが」
玻琉が大きな牙だらけの口を開き、何かきらきら光る薄い炎のような霧のようなものを吐き出す。
それが触れた途端、黒い猿の化け物は何かの化学反応に出くわしたように、微細な粒子状となって、空気に溶けるように消える。
「しかし、これは根本的な解決ではありません。別のモノを送り込んでくれば同じことだ。こいつを送り込んで来た奴を押さえて、二度と手出しできないようにするしかないんです」
虹色の獣が、伝説の地獄の犬のように炎の断片を吐き出しながら顔を上げる。
まっすぐに光彩を見たと思いきや……次の瞬間、そこにはあの以前と同じスーツ姿の村雲玻琉が立っている。
「わたしは、やりますよ。塩野谷さんがもうやめてくれと仰っても、嗅ぎ付けた獲物から、牙を離す気はありませんので」
しれっと断言し、玻琉は車のドアに手を掛けて乗り込む。
「おっ、先輩本気モード!! 相手が悪質なんで火が付いたッスよ。これで大丈夫ッスね」
央がけろけろ笑う。
運転席で、玻琉が光彩を振り返る。
「申し訳ありませんが、塩野谷さん。お宅にお邪魔させていただいてもよろしいですか? 今のところ、交流のある人たちの記録を見せていただきたいのですが。プライベートに立ち入るようで申し訳ありませんが、徹底的に洗い出さないと、あなたの命が危ない」
光彩はひゅっと息を吸い込む。
自慢できるほど友人が多い訳ではないが、その中の誰かが自分の命を狙っている?
「わかりました。そんなに多い訳でも、変な人がいる訳でもない……と思うんですが……」
玻琉はうなずく。
「お友達を疑いたくないお気持ちはわかります。そして、この場合、お友達は塩野谷さんがお友達と認識している人物と違う可能性もありますので」
光彩は意味が取れず目を瞬かせる。
どういうことだ。
「……奴らはね。元々いた全くの別人になりすます場合があるんですよ。かなり親しくても、家族でさえも、彼なり彼女なりが別人に入れ替わっていることに気付かない場合があるんです」
光彩は目をまじまじと見開く。
そんな映画みたいな話があるのか。
「信じがたいでしょうが、事実です。やつらは長年そういうことをしてきた連中なんですよ」
光彩は本格的に血の気が引くのを感じる。
そんなことが現実にあって、そしてそんな奴に自分は付け狙われている……。
あの化け物を見ていなかったら信じなかっただろうが、すでにアレを見てしまったあと。
「行きましょう。ここからだとあっちの駐車場が使えますね」
玻琉が車のエンジンを唸らせ、光彩は青ざめたまま、後部座席で小さくなっているままである。
◇ ◆ ◇
「うーん、高校と大学時代からの友達と、SNSで知り合った、映画ファンクラブの人と……定期的に連絡を取り合っているのはこのくらいッスかあ」
光彩の部屋、居間として使っている区画のテーブルの上で、央は光彩の友人の連絡先を覗き込みながら口にする。
テーブルの端には、それぞれ夕飯代わりに仕入れたピザが冷め始めている。
「現在、交際している方はおられない。親御さんは地元で以前と変わらず。職場の方の連絡先はこちらで入手しているので……可能性はやはり塩野谷さんのご友人のうちのどなたか、か」
玻琉が十数人程度のその連絡先をメモした手帳に目を落とし、ふむ、と唸る。
光彩に向き直る。
「この中で、職場の人を除いて一番最近お会いしたのは?」
「あ、先週一緒に映画館に行った映画同好会の人で……この人とこの人で」
光彩は、二人の女性の名前を指さす。
「ご職業はご存知ですか?」
「この人は会社員、もう一人の方は販売業だったと」
光彩がおおよそ知っている彼女らの住所を口にすると、玻琉と央は更に突っ込んで来る。
知っている限り、一人暮らしか家族と一緒か。
知り合ったのはいつごろか、それなりの付き合いか最近知り合ったのか。
覚えている限り答えると、二人はそれぞれ腕組みしたりあごをひねったり。
「普通の人に思える……か」
「でもそう見せかける奴らッスからねー。実際会ってみないことには」
どうすればいいのか。
玻琉と央の会話を聞きながら、お茶でも淹れようかと思った矢先に、光彩のスマホがいきなり鳴り出す。
「失礼します……え」
スマホの番号表示に目を落とした光彩は怪訝さに眉を曇らせる。
「この番号……」