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「ああ……あの荷物ね? 預かっただけなんですよ。同じ病院に通っていたし、家も近くだしで、結構遊びに行ってましたから、俺たち」

 

 というその男性の言葉に、喫茶店のテーブルで向かい合って座っている玻琉は、目を底光らせる。

 玻琉の隣に座った光彩は、ぎょっとしたように、唇を噛む。

 

 感じのいい喫茶店は、平日の午前中では人気は少ない。

 窓際の席に奥様風の二人がおしゃべりに興じている他は、玻琉と光彩、そして、探し出したその男性が向き合って座っているだけ。

 珈琲色のビロード張りの座席、紋様の描かれた窓ガラス、観葉植物の影。

 焙煎したコーヒーと、焦げたチーズのいい匂いが漂い、低い音量でクラシックが流れている。

 

 玻琉は、いつものスーツ姿で、紅茶を目の前にしている。

 その隣の光彩は、昨日と同じパーカーだが、下に着ているのはキャラクターもののTシャツとスカート付きのレギンスに変えてある。

 飲んでいるのはカフェオレだ。

 玻琉は、向かい合っている男性に、更に尋ねる。

 

「あの荷物、うちの彼女に持って帰れと、中江さんの妹さんがいきり立っていて、いささか困っているというか……市村さんに、誰がそんな荷物をよこしたんですか?」

 

 彼女も、まったく遺品を贈られるような覚えがないって困ってるんですよ。

 玻琉が説明すると、市村と呼ばれた30絡みの痩せた男性は、やや眉をひそめる。

 

「うーん……確かに頼まれて中江くんの家にあの荷物を届けたのは自分ですけど、中江くんの遺品なのかなあ? 中身は何かわかんないし……よこしたH病院の城戸さん、なんか態度が不自然だったし、なんであの人が中江くんの遺品なんか預かってたんだろう?」

 

 玻琉は、目の前に置いたボイスレコーダー位置を調整する。

 

「H病院の城戸さん? 医師の方ですか?」

 

 もしや、宗助の主治医か何かかと予想した玻琉だが、市村はあっさり首を横に振る。

 

「ああ、医者じゃなくて、H病院の精神科付属のリハビリセンターの職員なんですよ。これがまた嫌な奴でねえ。俺、大っ嫌いです、あいつ。でも、逆らうと怖いから」

 

 光彩は不安げに玻琉を見る。

 玻琉は冷静な表情で、更に質問を重ねる。

 

「中江さんも、そのリハビリセンターに通っていたということなんですね?」

 

 市村は、ああ、とうなずく。

 

「確かに昔ちょっとだけ通っていましたけど、一か月くらいで来なくなってしまいましたよ。やっぱり城戸に暴言吐かれて。息するように暴言吐きますからねあの野郎」

 

 光彩は、怪訝さを抑えられない表情を見せる。

 

「そんな酷い人に、遺品を預けてたんですか? 宗助さんは」

 

 市村は、うーん、と唸る。

 

「俺もね、おかしいと思うんですよ。そもそも、H病院には通院してても、リハビリセンターには近寄らなかった中江くんが、もう会うこともなくなってたはずの城戸に、遺品なんか預けるかなあって。遺品預けるにしても、城戸には預けないでしょう。あんなおかしい人」

 

 玻琉は、なるほど、とうなずく。

 

「その城戸さんという病院職員が中江さんの遺品を預かっていたのは、かなり不自然な状況だと。いや、ありがとうございます、参考になりました」

 

 玻琉は、スーツの内ポケットから、白い封筒を取り出し、市村の前に滑らせる。

 

「市村さん、少ないですがお礼です。では、我々はこれで失礼します」

 

 玻琉はいまだに不思議そうな顔をしたままの光彩を促し、席を立つ。

 

 

◇ ◆ ◇ 

 

『央、城戸というリハビリ科の職員について調べられるか?』

 

 鎮守の森が生い茂る、日陰の多い神社の一角。

 木製のベンチに光彩と並んで座って、玻琉はメッセージアプリで、央に連絡を入れる。

 央は今、宗助の通っていた病院内部の様子を、その特殊能力で探っているはずだ。

 

『ああ、城戸って、今来てない、連絡つかないって騒ぎになっている職員じゃないかな。昨日から誰も連絡つかなくなったらしいよ。警察が探し始めたっぽい』

 

 玻琉は、顔を上げて光彩を見る。

 

「……城戸という人、職場に来ていないようですね。昨日から連絡がつかなくなったようです。警察が探し始めたと」

 

 光彩が青ざめる。

 

「……じゃあ、その人が、教団っていうところの人間……?」

 

 玻琉はうなずく。

 

「教団の人間にありがちな行動パターンではありますね。しでかしておいて、急に消える。社会的に大した地位でないのに、何故か局地的に非常な権力を振るったりできるのも特徴の一つですし」

 

 まだ、確証は持てませんが、と付け加え、更に説明を続ける。

 

「中江さんの妹さんは、その遺品に添えられた城戸という人の手紙を読んだせいで、中江宗助さんの自殺の原因が塩野谷さんにあると思い込んだのですからね。城戸はかなり臭いです」

 

『中江氏の遺品と称して例の荷物を彼の地人に預けたというのが、その城戸という職員らしい。かなり臭い。城戸という人物は、消える以前に何か不審な行動をしていたか?』

 

 玻琉が更にメッセージを送る。

 ちょっとだけ間があって、返って来たのは。

 

『城戸って奴、相当痛い奴だ。セクハラパワハラの常習犯で、患者にも他の職員にも嫌われてたんだけど、何故か大した処分はされない不自然さ。いかにも教団の奴って感じだな。おかしいっちゃ、いつもおかしいから、特に中江さんの自殺前がおかしいかどうかは……』

 

 玻琉は更にメッセージを送ろうとしたがその前に。

 

『あ、でも、その城戸って奴が廊下ですれ違った中江さんと言い争いしていたって目撃証言があるみたい。この分だと、警察の重要参考人とかになってそう』

 

 玻琉は、更に言葉を打ち込む。

 

『消える前に城戸が何かそれらしいことを言っていたかどうかわかるか?』

 

『同じ科の職員が、どんなに忙しくてもトレッキングには行くんだからいいご身分だ、あいつだけは必ず休暇が保障されていたって愚痴ってる。この辺でトレッキングっていうと……』

 

 

◇ ◆ ◇

 

「ここは……?」

 

 光彩が、空飛ぶ船の上から眼下の濃い緑を見下ろす。

 緑の峰のその下に、沢のきらめきが見える。

 この街に来た時のように、船首に央が陣取って船を操り、船の中ほどに、光彩と玻琉が収まる。

 

「この山一帯が、いわゆる『黄泉の穴』がある場所なんですよ。ちょっと急ですけど、『黄泉平坂』ですかね」

 

 玻琉が、静かに説明する。

 

「怪しげな『遺品』を中江さんの妹さんによこした城戸という男、トレッキングが趣味と言っていましたけど、この辺でトレッキングというのは穏やかじゃないですね。さて……」

 

「よし、降りるぞ!!」

 

 石の船は、央の声と共に降下を始める。

 山肌の一角、開けた場所に、船はその身を沈める。

 

「何か聞こえないです……?」

 

 光彩が、ふっさりと下生えに覆われた山の地面に足を着き、思わず周囲を見回す。

 頭上は少し開けていても、周囲からは重なった木々の枝葉で天蓋が差しかけられている。

 風が通り過ぎると、ざわざわと人の声のように木々が鳴る。

 

「鍵体質の塩野谷さんがここに来れば、奴らも来ると思いましたが。早いですね」

 

 玻琉が、言うが早いか、あの幻獣形態へと変身する。

 未来の飛行機のような翼、半ば機械にも見える巨大な爪のつややかな獣の姿。

 巨大なサソリのように、銃器じみた尻尾をもたげている。

 

 ごう、と風が哭く。

 

 山肌を、何かが転げ落ちてくるのを、光彩は感じ取る。

 大きな体が、巨大なタイヤが転がるように。

 一体二体ではない。

 両脇に六本筒ずつの肢をはやしたような「何か」が、下生えを蹴散らしながら、枝葉を蹴り砕きながら、黒い雪崩れのように殺到しつつある。

 

 大音声。

 

 獣形態の玻琉の尻尾がうなりを上げる。

 まるで機銃のように、先端から輝く弾丸が射出される。

 自在に動く尻尾のせいで、押し寄せる不気味な影の軍団は、弾丸に弾き飛ばされる。

 進む傍から粉々に砕かれて、山肌に飛び散る。

 巻き込まれた山の樹木が倒れる。

 

「おおう、先輩!! 本領発揮だぜイェーーーイ!!」

 

 央は、まるで心配していないかのように悠然と構え、光彩の傍に控える。

 光彩はあまりのことに固まっていいる。

 

「大丈夫。まあ、見ててよ」

 

 央が言う先から、玻琉の頭上に輝く太陽のような球体が現れる。

 その球体の八方から、ビームじみた太い輝きが放たれる。

 その輝く光の帯に薙ぎ払われた怪物どもが、一瞬で蒸発する。

 さながら、暴虐な神の降臨のような数瞬。

 

 そこには、何も残っていなかったのだ。

 

 

◇ ◆ ◇

 

「ああ……これは」

 

 あの異様な雪崩れが消え去った後。

 玻琉は幻獣の姿のまま、央と光彩を引き連れ、尾根を少し登って行ったのだが。

 

「……うっわ、もしかしてコレ、城戸ってヒト!? 手がかり途絶えたじゃん!!」

 

 央が悲鳴を上げる。

 

 下生えに埋もれた、黒っぽい何か。

 もはやほとんど人間の原型を留めぬ、食い散らかされた姿となった何者かの遺体が、そこに転がっていたのだ。