はっきり言うが、鹿島さんはどうかしていると思う。
午後のむわっとした日差しの中、僕はゆっくりと自宅へと向かう。
その背後、10m足らずの距離を空けて、鹿島さんが尾行してきているのだ。
振り返らずとも、こんなにびりびりした殺気らしきものを放出していては、尾行していることはバレバレである。
彼女は、当たり前だが素人だ。
実際の尾行はドラマのように簡単にできるものではない、特殊技術なのだ。
電信柱の影などに隠れつつ、そろそろ歩いているつもりらしいが、彼女の気配は、まるで隣に立たれているかのように明白だ。
困ったな。
これでは、今日のパトロールに支障が出るかも。
なにより、鹿島さん自身が心配だ。
ここ最近の猛暑で外をうろつかれたり、張り込みでもされようものなら、熱中症になってしまう可能性が大だ。
ふと。
僕は、周囲の様子がおかしいことに気付いた。
夏の日はまだ長いはずなのに、妙に暮れなずんでいる。
茜色の日差し。
黒く長く落ちる影。
そして……電信柱が。
なんと、木製になっている。
ぎくりとした。
まるで、周囲の光景が五十年前みたいだ。
延々とうねりながら続く板塀。
細い手のように影を落とす周囲の家の庭木。
ここは、商店街で、そんなもの、ないはずなのに。
「鹿島さん!!」
僕は振り向いて、呆然としている鹿島さんのところに駆け寄った。
さしもの気の強い鹿島さんも、真っ青になって周囲を見回していた。
「龍口くん!? こ、こ、これ……」
一体どういうことなの、と問い詰めようとしたのだろう。
しかし、あまりの衝撃で言葉が出てこない様子だ。
鹿島さんは、普段こそ気は強いが、しかし、怪奇現象の類が極めて苦手な人種らしかった。
「僕から離れないで」
一言言って、僕は、正体を現した。
ダイヤモンドのようにきらめく、氷晶の精霊の姿を。
鹿島さんがますます呆然とするのが見えたが、この際隠し立てしても仕方ない。
「出て来いよ、いるんだろ」
どこからか、ぽーん、と丸いものが飛んできた。
ボール……いや、毬(まり)だ。
今日日、民芸品としてしか見掛けぬ、絹の糸で形作られた毬。
それが、まるで火の玉のように乱舞し始めた。
それどころか、一つだったものが、二つ、三つ、十、二十と増えていく。
毬が僕の体にぶち当たった。
まるでそれが爆弾であったかのように、巨大な炎が上がる。
僕の蛇体と翼でかくまわれた鹿島さんが悲鳴を上げた。
「ふん、原始的だな!!」
僕は自分の体の中の魔力を呼び起こす。
途端に物凄い雪嵐が吹き始めた。
ボールが固まり、巨大な氷塊になってぼろぼろと地面に落ちる。
落下の衝撃と僕の魔力で、それは粉々に砕け散った。
「なによあれ……!!」
鹿島さんが再び悲鳴を上げた。
視線の先を見る。
子供が、いた。
いや、普通の子供ではない。
この21世紀に、時代劇の中の子供のように、丈の短い着物を着ている子供など、いるわけがないからだ。
服装の色合いや、髪型からするに、女の子。
ただし、目も鼻もなくて、口だけやけに大きくひらいたのっぺらぼうが、女の子と言えれば、の話だが。
「なによあれ!! 何なのよ!!!」
鹿島さんは混乱の極みだ。
すこしでも落ち着かせないと。
「あれは、いわゆる妖怪の一種だよ。多分、少したちが悪いやつ。人間に危害を加えて、その恐怖心や苦痛で命を長らえるやつだ」
鹿島さんは、まじまじと僕を見た。
僕も鹿島さんを見た。
目が合う。
「……龍口君、なんだよね?」
「そうだよ。髪の色が違うから、印象が違うかな?」
僕は正体を現すと、氷を削ったような銀髪になるんだけど、そうするとますます精霊っぽさが増すらしい。
ま、もっと色々変わってるんだから、普通はそっちに気を取られるだろうが。
「色々、説明はあとだ」
ぐねぐねと、妖怪の周囲の影が、生き物のように立ち上がりこちらに向かって伸びてくる。
妖怪の笑みが深くなる。
にんまりと、禍々しく。
「こいつを片付けないとね」
僕は鉤爪を振り上げた。
まだ距離は数mもあるが、しかし。
鉤爪を虚空に向けて振り下ろすと、水晶のように輝く空間の亀裂が、妖怪に向けて走った。
声もなく、妖怪は増幅された僕の斬撃に粉みじんにされた。
まるで何かに吸い込まれたように、妖怪の姿はそこにはなかった。
「あ……あ……」
鹿島さんが、ぱくぱく、酸欠の金魚みたいに口を開けている。
僕は一瞬で人間の姿に戻った。
と、同時に、周囲の光景が変わる。
見慣れた商店街になった。
熱気でむせ返る歩道の上で、僕と鹿島さんは、改めて顔を見合わせることになり。
僕は決心した。
「……鹿島さん。色々、事情を説明するから、とりあえず、僕ん家に来てくれない?」
「う、うん……」
僕はスマホを取り出し。
家にいるはずの母に電話をかけたのだった。