4 見知らぬひと

「おっはよー!! 今日は早いね!! ん? どーしたの、ぽわんとした顔して、眠れなかったの?」

 珍しくチカゲの後から教室にやってきた――つまり極めて珍しいことに、チカゲが早めに教室に入った――菜穂が、チカゲの顔を覗き込んだ。

「ん。なんか変な夢見ちゃってさー、やけに早い時間に目が覚めちゃって。ぼっとしてても仕方ないから、さっさとガッコきた」

 生あくびを噛み殺し、チカゲは応じる。

「ほー。感心感心。ちなみに、どんな夢?」

 好奇心も露わに、菜穂はつついてきた。

「なんかシュールなんだ。私の部屋に、急に鉄骨で作ったみたいな変なオバケが襲来する夢。逃げ回ってたら、イケメンの男の子とばいんばいんなおねーさんが助けてくれんの」

「なにそれ。アニメッぽいつーか。チカゲ、オタクじゃないよね?」

 けろけろ笑う菜穂を見ながら、チカゲはちょっとした罪悪感に苛まれた。

 

 無論、それは嘘だ。

「出来事」が、ではなく、「その出来事が夢であること」が、だが。

 それは、実際に昨夜、正確に言えば6時間くらい前に実際に起った出来事。

 

『宇津チカゲ。お前は「霊性事物」に選ばれた「共鳴者」だ』

 昨夜、一色空凪はきっぱりとチカゲにそう宣言した。

『れいせ……え? きょうめい……って、ナニ??』

 人生で初めて耳にする単語の羅列に、きょとんとしてチカゲはベッドの隣に腰かけた空凪に尋ねた。

『お前、なにかずっと大切に……宝物的にしてる何か、持ってないか?』

 そう問われ、チカゲははっとして和風パンク衣装の胸元をまさぐった。

 あの、例の「お守りの石」が出てくる。

『それ……珍しい石ね。拾ったの?』

 空凪とは反対側から、百合子が覗き込んでくる。

『はい……五つくらいの頃、おばあちゃんの家の近くの海岸で拾って、それ以来ずっと大事に……』

 じっと見つめていた空凪がうなずいた。

『間違いないな』

『ええ。「霊性事物」ね。それもかなり高度なものらしいわ』

 そんなことを言われても、チカゲにはさっぱり意味が分からない。ただ、空凪と百合子の表情から、なにやら重大な話であろうということは見当が付いた。

『あの、「れいせいじぶ」って……なんですか?』

『「霊性事物」。つまり、霊的な……魂とか、霊魂とか、神々とか、そういったものに働きかけて繋がることができる、特別な物品よ』

 百合子にいきなりそんなことを告げられ、チカゲの脳裏に疑問符が点滅した。

『魂、といっても、普通の人間の魂とかじゃない。この世界が持っている霊性――世界そのものの霊魂……人間から見れば、把握できないほど膨大なエネルギーってことになるが、そういうものと繋がって、それを自分の力として引き出せるってことなんだ』

 真剣な調子で告げる空凪に、チカゲはきょとんとした顔を返すしかない。

 全くもって、意味が掴めない。

 

 いや、世界に霊魂って。

 あるの。

 地球とか、その、宇宙とか、そういったものに霊魂って。

 人格とかあるの。

 そんな馬鹿な……

 

『急にこう言っても、信じられんし、第一意味不明だろうな。無理もないが』

 ふう、と溜息と共に、空凪は百合子と顔を見合わせた。

『ただ、そういうものを持っていたから、お前は今みたいな超人の姿になって、自分に降りかかってきた災難を一旦は退けることができたんだ。そして、これからもそうしてもらわなくちゃな』

 え、と小さな声が出た。

 チカゲは、自分の姿を見下ろす。

 蒼い、和パンクな出で立ち。ベッドの後ろに放り出された、石を削り出した美しくも威圧的な刀。

『この姿になると、普通の人間にはない力を色々と発揮できるはずだ。お前の霊性事物の格なら、今しがた使ったようなレベルの力じゃない。本来、俺たちの助けなんかいらなかったはずだ。だが、お前には経験が不足していて、十全に力を引き出せていない』

 晦渋な表情で、空凪はじっとチカゲを見据えた。

『そのこともあって、あなたが狙われているのを知っていながら、あえて囮になってもらったの。ごめんね、危険な目に遭わせて。でも、事前に我等で対処してしまっていたら、相手は別の手を繰り出してくるかもっていう恐れがね……』

 爆裂的に色っぽい見た目と裏腹な、拝むような百合子に、チカゲは怒る気にもなれず、目をぱちくりさせた。

『相手って……ええと、私を狙ってるやつがいるってことなんですか?』

 なんだろう、特にこんな目に遭わされるほど、誰かの恨みを買った記憶はないのだが。

 

『あまり、詳しく話している時間はないの』

 百合子は色っぽい目元を曇らせた。

『これ以上込み入った話は、ちゃんとした機会にしないと、お前も恐らく困るだろう。それに、今は時間が足りない。話せば朝までかかってしまうし、そうなると、お前も俺たちも都合が悪い』

 空凪にそこまで言われて、ようやくチカゲは階下で寝ているはずの両親のことを意識した。物凄い振動や大音声だったはずだが、両親が起きて二階に上がってくる気配はない。不思議と言えば不思議だ。

『親御さんたちのことなら大丈夫。この空凪の術で、意識がこっちにむかないようにして、安らかに眠ってもらってるから。チカゲちゃんが黙っていれば、このことはご両親にはばれないわよ』

 確かに、こんなこと説明に困る、とチカゲは考える。

 空凪の術で部屋もきれいに元通りになって安堵したのだが、しかし、自分の状況まで元通り、という訳ではないようだ。

 

『明日の放課後、詳しい話をしてくれる仲間のところに案内する。そこで好きなだけ質問して、自分の状況を把握するといい。そうでないと、俺たちが困るから、お前に拒否権はなしとする。悪いな』

 ちっとも悪いと思ってなさそうな言い渡し方を空凪にされ、チカゲはむっとするより先に、一体、本当のところ、自分に何が起こっているのだろうと頭を抱えた。

 霊性事物。

 共鳴者。

 あんな触りくらいの説明では、何もわからないに等しい。

『じゃ、俺たちは帰る――前に、連絡先交換してくれ。万が一の連絡用にな。何かまたあったら、遠慮なく連絡しろ』

 空凪がそのスチームパンクには微妙に不似合いなスマホを取り出し、百合子もそれに倣った。

 

 結局。

 連絡先を交換すると。

『じゃあな。明日、学校で声をかける』

『じゃあね、この子が連れてくるはずの場所で待ってるわ』

 そんなことを告げて、空凪と百合子はチカゲの部屋のベランダから、夜の街並みへと消えた。

 ぽんぽんと民家の屋根を身軽に渡る姿は、映画やアニメの怪盗のようだった。

 

 かくして、今日である。

 時間はじりじりと過ぎ去る。

 何となく、B組に行ってみようかという気になったが、なんだか怖くて気が引けて、チカゲはそれができなかった。

 どうしてだろう。

 どきどきと、胸が高鳴るのを、チカゲは感じた。

 空凪と名乗るあの少年の、研がれた澄んだ黒い目が思い浮かぶ。

 

 授業も上の空になりがちで、うじうじと悩んでいると、いつの間にか昼休み。

 チカゲは決意した。

『よし。B組、行ってみよう』

 四時限目終了のチャイムと共に決意したチカゲの机に、ふと、妙に白い、くねりとした手が置かれた。

 

「……宇津さん、だよね?」

 

 その妙に耳に残る男子の声に、ぎょっとして顔を上げたチカゲは、水死体のようにぬるりと白い、細身の男子と目を合わせることになった。

 ぎくっとして、固まるチカゲに、その男子生徒は悪魔かサメのような笑いを見せた。