「……私は、アマネ。天狗のアマネだ。母は、天狗の祖神である、天逆毎姫神《あまのざこのひめのかみ》。今回の事件は、母の命で捜査している」
それなりに気の利いた、カラオケルーム。
あの事件現場から遠く離れて、ようやく人心地ついたのは、ネットカフェに併設された、完全防音のカラオケルームの中でである。
飲み物と軽食を頼んだだけで、アマネと名乗る天狗は、布張りのソファにヴィーヴルと並んで座る。
とはいえ、すでに二人とも人外の正体は隠している。
アマネは、翼と飾り羽を引っ込めただけではあるが。
真紅の髪といい、派手な和装といい、恐らくコスプレイヤーと思われていそうだ。
翻って、ヴィーヴルは、色気が零れ落ちそうな、スーツ姿の金髪美女となっている。
あの大人しめな「中屋敷翠子」だとは、誰も気づくまい。
まとめた金髪を横に流し、黒ストッキングの長い脚を組む。
「へえ、超お姫様じゃないの。あたしは、エヴリーヌ。ご存知の通りヴィーヴルよ。純粋なんじゃなくて、父さんは日本の旧い神様なんだけどね?」
鼻にかかった甘い声で、ヴィーヴルのエヴリーヌはそう自己紹介する。
「と、いうことはお前の親も日本にいるのか」
「ううん。母さんは父さんと一緒にフランスに帰ったわ。あたしはあれこれあって、しばらく日本にいるだけなの」
アマネの質問にさらりと答えつつ、エヴリーヌは、ふう、とため息。
景気悪いし、いつまでいるかわかんないけどね、と付け加える。
「……お前があの時言っていたな。『マリー=アンジュ』と。それが、今、日本のあちこちで騒ぎを起こしている魔宝珠《まほうじゅ》という訳か」
アマネは特に前振りの必要性を感じなかったようで、ずばり核心を突く。
エヴリーヌはソファに身を沈め、ため息。
「そうとしか思えないわ。『マリー=アンジュ』はね、あたしの母さんのところから盗まれたの」
その言葉に、ウーロン茶をあおっていたアマネがふと顔を向ける。
「元々は、お前の一族の財産だったという訳か。魔法の達者であるヴィーヴルが大事にする秘宝なら、さぞやすさまじいものであろうよ。あれは、序の口といったところか」
アマネは考え込む様子。
「もちろん、悪用されては大変だっていうのもあるわ。今回みたいにね。でも、なにより大事なのは……『マリー=アンジュ』は、あたしの祖母に当たる、伝説のヴィーヴルの額の宝石だったってこと。おばあちゃんの形見なの」
淡々とこぼしたエヴリーヌを、アマネはまじまじと見据える。
「……そういうことか。悪かったな。無神経な言及であった」
素直に謝るアマネに、エヴリーヌは人が悪そうに笑って見せる。
「あなたのそういうところ、可愛いわ。あなただから教えてあげる。おばあちゃんは、この世にある魔法なら、大体使うことができる、伝説のヴィーヴルだったわ。戦いに巻き込まれて亡くなってなかったら、今でもヴィーヴルの頂点として君臨してたでしょうね」
私は会ったことがないけれど、と洩らすエヴリーヌをアマネはじっと見据える。
防音の完全に効いた室内に聞こえるのは、互いの話し声と、グラスの鳴る音。
ヴィーヴルとは、フランスを発祥とする、人外種族である。
ドラゴンとも、妖精とも、精霊とも言われる。
コウモリの翼に、鳥の脚。
曲がりくねった角の先端、もしくは額に、膨大な魔力を秘めた宝石が掲げられている。
何故か男性はおらず、全員が女性という種族なのだ。
その象徴たる宝石の示す通り、彼らは旧く大いなる魔法を使いこなす。
「『マリー=アンジュ』というのも、祖母君のお名前という訳だな」
「そういうこと。ヴィーヴルに限らず、フランスの人外だったら、大体知ってる名前よ、今でもね」
「……ということは、有名だった。恐らく、何かのツテで、日本にもその高名が伝えられるほどに」
「多分そう。日本の良からぬ人外のうち、誰かが、伝説のヴィーヴルの遺した、膨大な魔力を発する青いダイヤモンドのことを知った。そして、フランスに渡り、見事な手腕で奪い去った訳ね」
感心するわ。
そう呟くエヴリーヌに、罰の悪そうな複雑な表情を見せてから、アマネは突っ込んだ質問に移る。
「祖母君の形見を、奪い去った曲者は、どんな者だかわかっているのか? 目撃者は?」
畳みかけるアマネの目をまっすぐに見て、エヴリーヌは首を横に振る。
「それがね。いつもは、銀行の貸金庫に預けてあるのだけど。月一くらいで、両親が揃って、確認に行くのよ。……で、ある時確認したら、いつの間にか、『マリー=アンジュ』は精巧なニセモノとすり替わっていたという訳」
「……いつ、誰が盗んだのかも、わからない、ということだな。銀行の隠し金庫から、か……」
幾つか方法を思いついたらしいアマネに、エヴリーヌは更に首を横に振る。
「金庫そのものに、母が術をかけててね。単に、鍵で開けただけでは、開かないようになっているの。術で中身を取り出すのも、同じように母の術が防止してるわ」
なにせ、伝説のヴィーヴルの娘だもの。
彼女の術も大したものなのよ。
それを無効化したの。
かなりの使い手が盗んだということ。
筋道立てて説明され、アマネは愛らしい顎に指をあてて考え込む。
そこまでの使い手。
日本は人外が比較的多い国ではあるが、そこまでの使い手となると、それなりに数は絞られる――それでも、しらみつぶしにとはいかぬ数に上るのが、悩ましいといえば悩ましい。
「……すでに、祖母君の形見を悪用したと思しい事件は、日本で何件も起きている。今回の件もそうだ。日本全国で起きているが、特に東京に集中しているな。首都機能がマヒするのも、時間の問題だ……」
アマネが重苦し呻くと、エヴリーヌはうなじをのけぞらせて視線を宙に据える。
「……問題は盗んだ奴が……もしくは、今悪用している奴が、何故、そんなことをしているかよ。膨大な魔力で、人間と人間社会を破壊する怪物を作り上げて世に放って、何をしようとしているのかしらね?」
「そこだ。さっぱり、見当がつかん。何の得があって、こんなことをする? 人間社会に恨みでもあるという訳か?」
それにしてもやりすぎだ。
ここまでするような奇特な人外――としか思えないが――が、本当に存在するなど信じがたい。
子供の頃から慣れていれば、人間社会に溶け込むなど、朝飯前だ。
「自分は天狗だ」などと喚き散らさなければいい。
周囲がそう思っているように、彼らの認識できる範囲では、人間を装えばいい。
人間の作り出す文明は、何といっても便利だ。
大部分の人外が、その恩恵を享受する代わりに人間の皮を被るなど、そう大したことではないと認識している。
人外は、人間の間の異人種と違って、人外だから、ということで差別される訳ではない――みんな、「人外など、現実には存在しない」と思い込んでいるのだから。
「さて――どうしたものかな?」
「探すのよ。それしかないんじゃない? 可愛い小鳥ちゃん?」
エヴリーヌは、アマネの形のいい鼻を、ぴん、と弾いた。