「あっ、あの……」
意を決したように、鳥居の影から出てきたのは、二十代半ばくらいの年の頃の青年である。
小綺麗にしている、普通の人間に見える。
意外と背は高い。
カールした黒髪に、くっきりした目鼻はややエキゾチックな雰囲気。
Tシャツにライダーズジャケット、ジーンズという、変わったところのないいで立ちだ。
「あらあ。どうしましょ。人間の人に見つかってしまったわ」
全然困っていない口調で、のんびりと、エヴリーヌは闖入者を見やる。
観察するかのように頬杖。
「小僧。去《い》ね。いまやどこも危険だ。すぐに逃げられるようにしておけ」
アマネも、取り立てて背中の大きな真紅の翼を隠す様子もない。
あれだけ人前で活動して、今更なのだろう。
ちなみに見た目的には、アマネと青年は同じような年の頃なのだが、天狗の祖の娘として生まれたアマネの実年齢は、はて人間の青年の何倍になるのか。
「……そこの、紅い翼の方」
しかし、青年は一瞬びくりとしただけで、意を決したように近付いてくる。
その目は、まっすぐアマネを見ていた。
「……昨日、助けて下さいましたよね」
静かな、だが確信に満ちた声。
アマネがついと見下ろす。
「昨日……?」
「ああ、アレじゃない? ふらふらバケモノの前に出て来ちゃった人がいたじゃない。あなた、物凄い勢いで助けてたわよね。流石勇者」
エヴリーヌにくすくす笑いながら指摘され、アマネは、ああ、とようやく思い出した様子。
「……お前、何故こんなところにいるのだ?」
昨日のは杉並区内での出来事であったが、ここは更に東京の西の端。
通勤するにしても少し遠い距離であるが。
「昨日は、病院の帰りだったんです。遅くなったから、ファミレスで夕飯食べてて。そのままちょっとだべってたら、外があんなことになってて……」
青年は、アマネに向けて軽く頭を下げる。
「ありがとうございました。助かりました」
アマネはふん、と鼻を鳴らす。
「別にどうということもない。邪魔だったから、移動させたまでだ。それより、人外の正体をわざわざ現わしている者に、そうホイホイ近付くものではないぞ、小僧。良からぬ目的で、人間の前でそうしている者もいるからな」
横柄な調子でアマネが言い渡すと、青年は笑って首を振る。
「御忠告、ありがとうございます。でも、あなたは、そんな悪い人に見えないですから。……天使の人、なんですか?」
やけにメジャーだが、外見が多少似ている以外にまるで共通点のない種族に間違えられて、アマネは眉根を寄せる。
むっとしたというより、困惑でだ。
隣では、エヴリーヌが面白そうににやにやしている。
青年の目がキラキラしているのを見て、アマネは怒る気にもなれなくなったようだ。
「誰が天使だ。私は、由緒正しい天狗一族の祖に連なる者だ」
「あ、天狗さんなんですか!! そんなにきれいな色の天狗さんもいらっしゃるんですね。てっきり、天使さんと悪魔さんが組んでるんだとばっかり」
好奇心に満ちたキラキラ目をエヴリーヌも向けられ、彼女はきゃらきゃら笑う。
一体、どんなラノベを読んだんだか、と言わんばかり。
「あたしは、ヴィーヴルのエヴリーヌ。フランスの、精霊というか妖精というかドラゴンというか、そういう種族よ。こちらの彼女は、天狗のアマネ。あなたは、人間……よね? なんて名前なの?」
尋ねられ、青年はようやくまだ名乗ってないことに思い至った様子。
「失礼しました。俺は、図師涼《ずしりょう》……って、いうらしいです」
その言い方に、アマネもエヴリーヌも怪訝な表情を浮かべる。
「どういう意味? 自分の名前が『らしい』って?」
優雅に首を傾げたエヴリーヌに、涼と名乗る青年はあいまいに笑って見せる。
どこかやるせない笑い方だ。
「……俺、ちょっと前に事故ったんです。そん時、記憶が丸ごと飛んじゃって。病院にも、その治療で通ってるんです。体の傷は大体問題なくなったんですけど、記憶がなかなか戻らなくて。今、自分って思ってる『自分』についてのあれこれっていうのも、世話になってる親戚から聞いた話で」
「……不運な奴だな」
人間で、不運な者はとことん不運だ。
前々から感じていたことを、アマネは改めて確信する。
古い人間がよく言うように、「疫病神」というものは存在すると思いたくなるのも無理はない。
と。
ぞわり、と、アマネとエヴリーヌの背筋を何かが走りぬける。
弾かれたように見上げた空に、夜陰のように暗く輝く影。
それが、マントを翼のように広げながら、古びた神社の境内に降り立つ。
「ああ、やっぱりですか。ようやく見つけた」
響きの良い上品なバリトンは、この時に限っては、悪魔の哄笑のように響く。
そこにいたのは、「あの」日本産吸血鬼。
闇路だ。
アマネが咄嗟に、涼を庇うように、彼と闇路の間に割り込む。
涼を後ろ手でかくまう。
エヴリーヌも立ち上がり、術を発動させるべく構えを取る。
「涼。ようやく見つけた。もう大丈夫だ。お父さんのところに帰っておいで」
太刀を持つ手とは反対の手で、闇路が涼に手を差し伸べる。
アマネもエヴリーヌも、あまりのことにぎょっとするが。
明らかに一番驚いて、気絶せんばかりに青ざめているのは、当の涼本人であった。