「この人たち……が恒果羅刹? どれが本物かしら?」
エヴリーヌはアマネと背中合わせになりながら、殊更気楽そうに呟く。
「どれでもなかろうよ。恐らく、自分の分身を作り出してはいるが、本体は別に隠れているはずだ」
アマネがしれっと見立てを述べる。
千年を経た人外であるアマネにとっては基礎知識、妖術使いの基本的な戦い方である。
彼らは滅多に自分自身で直接打ち合うようなことはしない。
距離を置いて術をぶつけ、錯乱させた上で、更なる術で葬る。
配下がいればそいつらを使うこともあるが、術で作った分身を投入しているとなると、部下すらこの死の瘴気が満ちる場所には連れて来られなかったと見える。
「……私が何とかする。お前は、恒果羅刹の居場所を探れ」
アマネが言うや否や、八体の恒果羅刹が、手で奇妙な印を結ぶ。
次いで開いた時には、その手の間に不気味な紫色に輝く無数の光体が飛んでいる。
それが、まるで散弾のように、アマネとエヴリーヌに浴びせられる。
それぞれの柔肌に、高密度の術が……
いや。
その弾丸は届かない。
アマネが一瞬早く、扇を打ち振っていたのだ。
轟雷のような音を立てる衝撃波が、同心円状に周囲の恒果羅刹を打ち据える。
術の弾丸が押し返されるどころか、恒果羅刹たち自体が爆発に遭ったかのように、四方八方に飛んでいく。
「あらぁ!! 凄いじゃない」
「喜んでいる場合ではないぞ。あいつらは所詮、術で作り上げた人形だ。壊したところで根本的解決にはならん。さっさと『マリー=アンジュ』を見つけろ。無制限に分身を生み出されたら、流石にまずい」
エヴリーヌの言葉が終わらぬうちに、アマネがぴしゃりと押さえる。
視界の向こうはるかに、変わり果てた涼と、相対している闇路の小さな影。
「それがね、近くにあるような気もするんだけど……なかなか座標が特定できなくて……」
エヴリーヌが珍しく困惑したような声でこぼす。
彼女にしては、なんとも気持ちの悪い状況である。
祖母の形見「マリー=アンジュ」の魔力の波動は、しっかりと感じ取っているのに、それが「どこから伝わってくるのか」がどうしても特定できない。
さながら、声は聞こえるのに、その声の主の姿は見えず、どこから響いてくるのかすらわからない、悪夢の中のようなとりとめない感覚。
いつになく、エヴリーヌは焦る。
誤魔化されているのはわかる。
だが、それにどう対抗していいかがわからない。
アマネがゆるやかに扇を動かす。
まるで、舞の稽古でもしているかのように。
上空の風とは違った風が吹き始める。
アマネとエヴリーヌを取り囲み、忠犬のように周囲をぐるぐる回る気流の流れ。
いきなり、下側から大きな音がした。
車が何かを跳ね飛ばしたような硬く激しい音。
ぎょっとして足下に目を向けたエヴリーヌの視界に、何とも言えぬ不気味な生き物か何かが、盛大に体液を撒き散らしながら落下していく様子が捉えられる。
はた、と気が付くと、自分を取り囲む風の障壁に、全身が槍の穂先を束ねたような生き物や、生物学的にあり得ない奇妙な触手の生え方をした生き物が、突進してきては粉々に粉砕されているのが見えてくる。
あの恒果羅刹の分身が、更に手下の式神でも生み出しているのか。
「エヴリーヌ。恐らく、祖母君の形見の気配は感じていても、それがどこにあるかといった子細な特定ができないのであろう?」
アマネが、静かな声で問いかける。
「あらぁ。教えてもいないのに察してくれたのね。察しのいい子は、お姉さん、好きよ」
語尾にハートマークでも付けかねない甘い調子は、精神の平衡を取り戻すための儀式。
「原因は、恐らく、あいつら自身。恒果羅刹が、『マリー=アンジュ』の魔力を利用して生み出した分身どもだ。それが、恐らく、お前の魔力を混乱させている。魔力的ジャミングとでも言うべきか」
アマネは静かに、自分が分析できた情報を伝える。
エヴリーヌは思わず目を見開く。
その間にも、二、三体の式神が、風の障壁に突っ込んできては粉砕されている。
さながらミキサーにかけられた果物だ。
「恐らく、恒果羅刹は完全に『マリー=アンジュ』を使いこなしている訳ではあるまい。お前の話から伺える祖母君の形見の威力が、この程度だとは思えない。理の当然だ。魔力には相性というものがある。恒果羅刹のような者が、伝説のヴィーヴルと相性が良いとは到底思えんな」
言われてみればそうだ、とエヴリーヌも思い至る。
祖母の魔力そのものである「マリー=アンジュ」が、全く無関係の妖術使いと相性がいいなどということは不自然である。
それは、何の処置もなしに他人の臓器を移植しても、自分の一部にならないのと同じことだ。
時間をかけて馴染ませればあるいは違うかも知れないが、たった一ヶ月半~二ヶ月程度の時間的余裕では、恒果羅刹が「マリー=アンジュ」の魔力波長に馴染むには、あまりに足りないだろう。
「とりあえず、あいつらをしばらくの間は消し去らねば、お前の探知も上手く行かぬ。……ここで、しばし待て。何があっても動くなよ」
アマネは言うなり、風の障壁をするりと潜り抜けて、少し離れた上空でホバリングする。
エヴリーヌの視界は不自由なくそれを捉えられるが、彼女にわらわらと、全身凶器のような式神や、恒果羅刹の分身が流れ寄っていく。
エヴリーヌは息を呑む。
扇を構えてはいるものの、アマネは動かないように見える。
四方八方から、おぞましい式神が殺到する。
まるでごみの山のように、数十はいるであろう式神が球状にアマネを押しつぶそうと。
ぎくりとしたエヴリーヌに構わず、ぼろぼろの被衣をまとった恒果羅刹の分身たちが、同じく球状にアマネを取り囲み、手に手に光る網のようなものを現出させる。
それは隣同士で繋がり合い、一つの球状の網となる。
見覚えがある。
さっき葬った、あの怪物が放った……
瞬きの間に、光が爆縮する。
式神どもも巻き込んで、あらゆるものを切り刻み破砕する死の網が、住宅くらいの大きさから指先ほどの大きさに収縮したのだ。
その中心にはアマネがいたはず。
もはやあらゆる式神と混ざって無残に圧縮され、混じり合った体液を滴らせる肉塊しか残っていない。
エヴリーヌの喉は凍り付いたように声が出ない。
アマネが死んだ。
殺された。
目の前で。
自分のために。
風の音すら聞こえないような、死の沈黙は、恐らく本当は一瞬のことだったのだろう。
「甘いわ、貴様ら!!」
突如、聞こえた居丈高な声に、エヴリーヌは満面の笑みになる。
そうだ、自分を護る風の繭が無事なら、あの高慢天狗が死んだはずがない。
一際巨大な、辺り一帯を鳴動させるような大音声が轟き渡る。
大気が歪む。
陽炎が立つ。
一瞬あとに、そこには式神の残骸も、恒果羅刹も存在していない。
超高温の熱風で、瞬間的に灰となった者の残骸が、侘しく風に流れて消える。
扇を振り抜いた姿勢で、アマネが青空の只中に翼を広げている。
「エヴリーヌ!! 今のうちに探知しろ!!」
エヴリーヌは我に返る。
魔力感覚は、先ほどまでが嘘のように澄明で、あらゆるものを目の前にあるように認識できる。
集中する。
覚えがある、あの真なる青のダイヤモンド。
まるで呼ばれたように、エヴリーヌの魔力網に、その輝きが引っかかる。
「そこよ!!!」