「じゃあな、エヴリーヌ。母上様と父上様に、くれぐれもよろしくお伝えして、詫びの品をお渡ししてくれ。母からの詫び状もな」
アマネは華やかな和装の人間形態となって、旅装束に身を包んだエヴリーヌの手を取る。
しっかりと握った。
まだ昼前の成田空港。
ある程度パニックから立ち直り、ほぼ通常の運行となったパリ行きの便に、エヴリーヌは搭乗する予定だ。
空港内の明るい見送りスペースに、故国に旅立つエヴリーヌを見送るは、アマネ、闇路、それに加えて、ぴんしゃんとした涼。
闇路はきちんとスーツを着込んでいるが、涼はパーカーの上にジャケット、チノパンという砕けたいでたち。
人間の肉体に封じられていた時と、今の容姿は変わらないが、人外なら誰でも、彼が人外、しかも日本産吸血鬼だという事実に、疑問は挟まないであろう。
明瞭な人外の気配を放っているのが、今の涼である。
「あら、大丈夫よ、そんなに心配しなくても。アマネのお母様をはじめ、天狗一族の方々が責任を感じているのを、両親はちゃんと理解しているわ。闇路さんたちに至っては、完全に被害者じゃないの」
エヴリーヌはあの過酷な事件を共に乗り越えた三人を順繰りに見渡す。
人間たちにとっては、何が起こったか全く理解できない大災害であっただろうが、ここにいる全員が、最善を尽くして破滅を食い止めた。
東京の被害は甚大であったが、それでも百万都市は立ち直ろうとしている。
欲得に目が曇った、愚かな妖術使いがたまたま僅かな隙を突いて手に入れた「マリー=アンジュ」は、今はエヴリーヌの魔術的ポケットの中だ。
これから正当な持ち主、つまり、エヴリーヌの母の手に戻されようとしているそれが引き起こした災害は、恐らく全世界の人外が知るところとなるであろう。
更に賢明な保管のための叡智は、必然的に彼らに寄せられるはずだ。
「エヴリーヌさん。本当にありがとう。今回ばかりは死ぬかと思った。お礼したいけど、当分フランスに滞在するんだろ?」
尋ねられ、エヴリーヌはふう、とため息をつく。
「なにせ、勤務していた会社、物理的に完全に破壊されちゃって、復興の目途が立たないのよ。しばらくフランスで安定した生活を求めることになると思うわ。あなたのお気持ちだけで嬉しいから、気にしなくていいのよ。何かあったら連絡ちょうだいね」
涼の手をしっかり握り、あの悲惨な状態の後遺症もないらしい彼の様子に、エヴリーヌはほっとする。
彼が犠牲者のまま黄泉に送られなくて、本当に良かったと胸を撫でおろす。
彼のお陰で、祖母の遺された心に触れることができたのだ。
それは、エヴリーヌの心の深いところにしまい込まれた奇蹟の記憶である。
「エヴリーヌさん。くれぐれもご両親にお詫びをお伝えください。あなたご自身も、私で何かお役に立つことがございましたら、何でも仰ってくださいね」
闇路とエヴリーヌは改めて握手を交わす。
彼は今やエヴリーヌにとって極めて有力な味方である。
今回の件で、全世界に日本産吸血鬼の戦闘力についての評価が広まったことであるし、その希少種族とのコネは、エヴリーヌにとっては有利になるはずだ。
「ありがとう。そう仰ってもらえて心強いわ。今回の件では、あたしの一族の者は、誰もあなたを責めていないから、あまり抱え込まずにね」
内心を見透かされたかのように慰められ、闇路は感謝を込めて、もう一度彼女の手を握る。
「じゃあね!! 面白い話があったら、メールするわ!!」
エヴリーヌが搭乗口の向こうに消えていく。
その背中が見えなくなってから、闇路がアマネを振り向いた。
「アマネさん。ご一緒にお昼ごはんでもいかがです? この近所でいい店を知っているんですよ」
「ん……そうだな」
「父さん、あそこだよね。アマネさん、俺が車出すから、ガッツリ食べに行こうよ」
終わってみれば、「マリー=アンジュ」の魔力で癒されたものは大きい。
誰もが口に出して言わないけれど、新しい日々を祝う気持ちは、永遠に輝く宝石のように、彼らの中で居場所を見つけたのだった。
「たった一つのマリー=アンジュ」 【完】