「それ」は、明らかに今まで見てきた「モノ」とは違っていた。
普通の、路上や人の集まっているところに「いる」ようなやつは、ぼんやりとでも人の形をしている――少なくとも、元が人だったとわかる形状はしている――ものだが、それは、全く人間離れしていた。
固形物なのではないかと疑われるような、濃厚な存在感の黒灰色のもやの中に、無数の人間の顔や手が浮かび上がっている。
それが嵐の雲のように渦巻きながら、路上をさまよっている。
何かを探し求めるように。
最初に見た時は、春休み中の公民館だった。
何かの展示会をしていたのだと思う。
だが、それが入って行った翌日。
公民館は、原因不明の火事で、死者数名を出す惨事となった。
次に見たのは、住宅街。
「それ」は少し大きくなっていた。
入って行った家で、一家心中事件が起きた。
父親が家族を殺し、自分も自殺したのだ。
そしてつい最近も、見かけた。
夜の路上で。
公園のベンチで眠り込んでいた酔っ払いの上に覆いかぶさってしばらくすると、いびきが聞こえなくなった。
恐ろしくて、誠弥は走って逃げた。
「……偶然かも知れないけど、俺の行く先々に現れるんです」
全部吐き出した誠弥は、いっそすっきりした顔をしていた。
「このままだと、次は自分が襲われるんじゃないかって怖くて……。そもそも、あれって一体……」
あんなもの、見たことない、とこぼすと、オカルト研究部部員たちの間に鋭い視線が走った。
「……実を言うと、それはそう珍しいものでもないよ。世界中にいるんだよ。人の集まっているところで、ある一定以上の確率で出現するのはどうしようもない」
さすがに難しい顔を魅せながら、黒猫の礼司部長が断言した。
「あー、親父からも、大じいちゃんからも聞いたなあ。なんてったっけ、ああいうの」
千恵理が指で額をこつこつ叩いた。
「有名なところだと、新約聖書に登場しますね。イエスに追い払われる役で」
冷静な調子で、紗羅が説明を始めた。
「レギオン、って聞いたことがありますか? 『軍団』という意味ですよ。無数の悪霊が塊になった状態です。イエスはそれを豚の群れに乗り移らせて、湖に突っ込ませて全滅させていますけどね。さて、この場合……」
「……そんな沢山の動物の群れなんて、用意できないんじゃあ……」
ここは地方都市だ。
もっと田舎の方に行けば牧場の類や養豚場の類があるかもしれないが、街中では無理である。
誠弥は絶望感に襲われた。
「いや、必ずしも同じ事をする必要はありませんよ。無数でも、悪霊は悪霊です。理論的には、普通の悪霊に通じる攻撃法――法力や、神聖な武器による打撃が通じるはずなんです」
静かに落ち着かせるように、紗羅は誠弥に説明を続ける。
「でもさ、誠弥君の話だと、かなりデカくなってない? 大丈夫かな、いつもの方法で?」
まあ、斬れるなら斬るけど、一部でも逃がしたら、元の木阿弥なんじゃ?
と千恵理が疑問を差しはさむと、礼司が誠弥の目の前でにゃあと鳴いた。
「そう。それなりの方法があるはずだが」
「……核がね。いるはずなんですよ」
唐突に、紗羅が切り出した。
「レギオンの中心になっている核が存在するはずです。その核になっている悪霊をむき出しにすれば、かなり楽に倒せるはずなんですが」
「核……ですか」
それは、どんな悪霊なのだろう。
無数の悪霊を取り込んで一体化するほどの、強烈な怨念の持ち主なのだろうか?
「予想されておいでかと思いますが、『軍団』と言われるような強力な霊的群体の中心になるような存在ですから、並みの怨念じゃないですよ。心してかからないと、我らでも危ないかも」
釘を刺すように、紗羅が忠告する。
「でもさ、放っておけないよね? 生きてる人間を一瞬で絶命させるような強力な霊体に育ってるんだからさ」
千恵理が腕組みする。
「核になっているのが、どんな人だったのか、分かればだいぶ楽なんだがね……」
礼司が誠弥の前で、にゃあ、と鳴いた。
「恐らく、比較的最近に、この近辺で、恨みをたぎらせるようなことで亡くなった人間ですか。報道されているなら、絞れそうな気もしますが……」
紗羅が考え込む。
「あの……ちょっと気になったんですけど」
誠弥は、おずおずと発言した。
「ん? 誠弥君、どうしたの? 心当たりでもある?」
千恵理が振り向く。
「心当たりって言えるかどうか……その、俺が見たそのレギオンの出現場所なんですが」
全員の視線が、誠弥に集中する。
彼は深呼吸して考えをまとめた。
「最初は公民館。次がB町の住宅。最後が、商店街向こうの公園」
あ、と誰かが漏らした。
「……だんだん、この学校に近付いてくるのが気になるんですよね……」
全員が、顔を見合わせた。
「この学校の関係者……? 酷い亡くなり方をした人……? いた、そんな人?」
千恵理の疑問に、答える声はなかった。