「春休み前と、春休み中の新聞? 書庫にあるけど、どうするの?」
図書館の司書にそう言われて、紗羅はぺこりと一礼した。
「ありがとうございます。オカルト研究部の活動なんです。新学期早々、学校の内部で流布する怪談と、実際に社会の中であった事件との相関関係を調べる、という課題が出まして」
ぽっちゃりした、いかにもマダム風の司書教諭は、おかしなことをする部活だな、という顔を隠そうともしなかったが、書庫の鍵は貸してくれた。
「さあて……左奥の……あの棚ね」
紗羅は眼鏡をくいと持ち上げると、書庫の電灯を灯し、左奥の新聞の棚に向かった。
書庫はしっとりした、古いインク特有の匂いが充満している、窓もない、そこそこ広い空間だった。
壁際一面と、部屋中の等間隔に迷路のように本棚が配置され、主に古びた学術的な蔵書が並んでいる。
紗羅としては主に宗教史や文化人類学関連の本を読み漁りたいところであるが、努めてそれらの棚から目を引きはがし、古新聞に意識を集中する。
新聞棚は、書庫に入って左奥突き当りだった。
ごく古いものはまとまって段ボールに詰め込まれ、一定期間が来れば廃棄されるはずだが、まだ新しい古新聞は、棚に日付順に重ねられている。
紗羅は棚に置かれた、地元地方紙の古新聞を手にし、床に下ろした。
次いで、昨年度三月分の表記のある段ボールを手に取り、年度末の時期、つまり春休み直前の時期の地方紙を取り出す。
紗羅はカバンから錦の袋を取り出した。
中から輝く五鈷杵が姿を現す。
まとめて置いた古新聞を前に結跏趺坐(けっかふざ)し、両手を合わせ人差し指親指でそれぞれ円を作り、両手の他の指を伸ばしたまま交互に交差させる、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の印を結んだ。親指で支えるように、金剛杵を印に組み込む。
「求聞持聡明法(ぐもんじそうめいほう)。オン・バサラ・アラタン・ノーオン・タラク・ソワカ!!」
低いがはっきり聞える声で真言を唱えると、黄金の波動が書庫中に広がったように見えた。
見る者が見れば、紗羅の全身は、明星のような黄金の輝きに包まれ、さながら地上に顕現した菩薩のようだった。
紗羅の脳裏には無数の情報があふれてきた。
さながら、伝説に伝え聞く、宇宙の書庫のごとく。
ばらばらにされた映画のフィルムのように、無数の「刹那」が、果てしない宇宙空間に乱舞しているかのような光景。
その無数の「刹那」の中に、紗羅は「その光景」を見つけた。
暗い住宅街。
紺色の平凡なセダン。
それに乗っている、その顔を、紗羅は確かに見た。
『あれは……』
紗羅は、五鈷杵を制服の内ポケットにしまい込み、凄い速さで古新聞をめくった。
昨年度末のその地方紙。
三月初頭で手が止まった。
『県立城子高校一年生の市原愛実(いちはらまなみ)さん(16)が行方不明。二月二十七日夕方、部活の顧問教諭に自宅前まで車で送り届けられたのを最後に、行方が分からなくなっている。警察は顧問教諭に詳しく話を聞く一方、周辺の聞き込みなどを続けている』
『城子高校に通う女子生徒、依然行方不明。最後に接触した、陸上部顧問の佐藤幸男教諭(47)の車が愛実さん宅近くで近隣住人に目撃されていることから、佐藤教諭が自宅近くまで送り届けたまでの足取りは確実。その後、自宅までの30mあまりで、愛実さんは行方不明に』
『陸上部顧問教諭によると、市原愛実さんは陸上の記録が伸び悩んでいたことを気に病んでおり、たびたび顧問教諭に相談していたとのこと。同じ部活の生徒らなどからも、事情を聴く方針』
紗羅の眼鏡が、書庫の薄暗い照明を浴びて輝いた。
「求聞持聡明法」は、無限の知識の扉を開く真言。
それは宇宙の記録庫に保存された「現実に存在したこと」であり、間違いやごまかしは通じない。
そして、それと目の前の新聞に記載された「人間社会の目から見た出来事」の対比。
「これは……」
紗羅は低く呻いた。
どうも、事態は思ったより混み入っているようだ。
ポケットからスマホを取り出して、フラッシュを焚いて該当の記事を写し取る。
十枚近くの写真を写し取り、紗羅はようやく一息ついた。
「困ったわね、これは。どういう攻め方がいいのかしら」
そう口では言いながらも、すでに獲物を捕らえた猛禽のような鋭い眼光で、紗羅は次の段階への踏み出し方を、脳裏に思い描いていた。