「この家は、三階が屋上のバルコニーと部屋が一つで構成されている。当時としては、非常に先進的な造りだっただろうな」
事前に全体を偵察していたらしい元喜が、大筒を構えたまま、三階へ続く階段を昇る。
隣には太刀を構えたままの千恵理。
上に見えている三階の部屋から、うっすら日が差し込んでいる。
しかし、元喜の言葉に反応したのは、背後でそろそろと階段を昇る礼司である。
「屋上でバーベキューなんかができるようになってるやつかね? ふむ、十年も前に廃墟になってたにしては気が利いた造りだねえ。裕福な家族が思い浮かぶよ」
その後を補足したのは紗羅。
彼女は礼司の後ろ、殿で背後を警戒している。
「自分と特に関わり合いのない穏やかに暮らす人間の命を奪いあるいは人生を破壊して、代わりに自分がこの家に居座った訳ですからね。双炎坊の悪質さが目に見えるという訳ですよ。気を引き締めてかかってください」
ふと、話題を変えたのは誠也である。
彼は礼司の隣、紗羅の前、千恵理の背後で、前後を守られた形だ。
「でも……静かですね。変な寒気はしますけど」
そう誠也が口にすると、誰もが無言で肯定する気配。
「双炎坊って人、あれだけ色々やってきたのに、何で急にこんなに静かに」
「いや、多分、何かしらはやってるんじゃないの? ただ、それがことごとく無駄になってるのよ、きっと」
あっさりと明るい声で返したのは千恵理。
彼女は太刀を構えたまま、いつでも戦える体制だ。
「だって、さっき副部長に『被甲護身』をかけてもらったじゃない? 双炎坊が幻を送り込んでも、それのお陰で弾かれてるってことでしょ?」
誠也も、他の全員も納得する。
紗羅以外、散々双炎坊の送り込む幻に苦しめられてきた面々は、紗羅にそうした邪な術から身を守る咒をかけてもらったのだ。
この被甲護身は、邪な術や悪霊自身の攻撃から、被術者を守る効果がある。
文字通り、心身に鎧を着せる術と言っても良いであろう。
それを紗羅によって全員が施され、どうやら双炎坊の幻術が効かなくなったようなのだ。
「でもね、それだけで油断は禁物です」
紗羅が警告を発する。
「奴の幻術を抑えることができても、奴にはまだ、浮遊霊から作り出した人造妖怪の群れが付き従っているはずですからね。さっきからそいつらの姿が見えないのが不気味だと思ってるんですよ」
確かにそうだ、と誠也はじめ全員が訝しい思いに囚われる。
浮遊霊を材料にするなら、そう数をケチる必要はないはずである。
にも関わらず、幻覚とセットでそれぞれに送り込まれてきたのを最後に、人造妖怪は彼らの前に姿を見せていない。
それの意味するところは。
「チマチマ送り込んでも、幻覚と一緒でないなら、人造妖怪は俺たちの敵じゃねえって、向こうも認識しているんだろうな。意外に状況は見えているジイサンだぜ。こんなバカな真似する割には、な」
元喜がふんと鼻を鳴らす。
「まあ、そりゃそうだ。言ってること、やっていることがもっともらしいから、生きている人間まで丸め込んでダマせた訳だ。江崎みてえなアホな奴ならな」
なるほど、そういうことか。
誠也は更なる寒気に囚われる。
さっきチラリと元喜がこぼしたところによると、江崎少年にただならぬ邪気がまといついていたのが、元喜がこの件に気づくきっかけだったようだ。
元喜に喧嘩で負け続けの単細胞な不良少年に「力が欲しいか」と囁いたのが双炎坊だったのだ。
こんな、お約束だけで構成されたラノベみたいな話に実際に乗る人間がいるという事実が、誠也にとっては衝撃である。
「……さあって、なんかいるみたいよ?」
先頭で強化ガラスのはめ込まれた扉に辿り着いた千恵理が、低い声で囁く。
「……おめえが開けてくれ。俺が内部を警戒する」
話しながら、元喜の体が、白銀の光に包まれる。
はっとした全員の目の前で、元喜の姿が変わっていく。
目鼻立ちは変わっていない。
だが、背中から大きな白銀の翼が伸び、優雅な尾羽がたなびく。
衣装はまるで能装束みたいな白地の唐織、雲と鳳凰が飛び交う柄が織り出されている。
銀髪に映える烏帽子が涼やかだ。
「これが俺。天狗としての俺だ。これを出したからには、ちょっと派手に行くぜ」
思わず息をのむオカ研メンバーに向け、元喜はゆっくりと、大筒を抱え直す。
「……開けるわよ」
千恵理が、一瞬だけ待って、一気に扉を引き開けた、その時。
赤黒い何かが、オカ研の面々のいる廊下に伸び上がって来たのだ。
全員が見る。
それは、巨大な首である。
まるで生皮を剥いだように皮下組織が露わになった、巨大な人間に似た首だ。
違うのは、まるで首長竜みたいに、やけに長い首で室内に連結されているということ。
目が額の巨大な目を含めて三つ、満面の笑みを浮かべながら、それはレーザーのような眼光を照射しようと……
白銀の流れが、その生首を直撃する。
半ば廊下が崩れる前に、元喜が羽ばたいたのである。
翼が巻き起こす風には、冬の月のような白銀の羽毛が無数に含まれている。
それが触れた途端、生首の化け物はぼろぼろと崩れ落ちる。
燃えるや焼けるを通り越して、灰より細かい粒子となって、廃墟の床に一瞬で降り積もる。
「すっ、すごっ……!!」
自身も戦闘能力は確かであるはずの千恵理が息を呑む。
彼女はじめオカ研の面々の見ている前で、元喜は最上階の部屋に入り込む。
「来てやったぜ、因業坊主。覚悟はできているんだろうな?」
彼の目の前。
すすけたサッシが額縁となって。
廃墟の屋上に、地獄を切り取って来たとしか思えない光景が広がっていたのだった。