「ほう? それは何だ?」
レルシェントが、どこからともなく取り出した二つの骰子とダイストレーを見て、ダイデリアルスは面白そうに笑った。
仲間たちさえ見ていたら、それが何か分かっただろう。
そして、それが意味するところも。
運命の骰子(ダイス)。
遊戯神ピリエミニエから授けられし、奇蹟を起こす「判定」を可能にする魔法の骰子。
これはレルシェントが、この状況に対して、自然の運命の流れに力づくで干渉する意思があることを示している。
レルシェントのは、鏡銀の縁の付いた、星層石の十面骰子だ。
『レルシェ?』
レルシェントの脳裏に、オディラギアスの怪訝そうな心の声が響く。
『どうしたのだ、何をするつもりだ!? そんなことより、転移魔法が使えるだろう、逃げ……』
『……ちょっと気になることがございましたの。ご心配なく。恐らく、明らかになることがございますわ』
きっぱりそう心の声で言い切りながら、レルシェントは穢らわしい皇太子に愛想笑いを振り向けた。
「我ら霊宝族の相性占いの一種ですの。この骰子を振りますので、相性占いをしたい男女は、それぞれ自分の好きな数字を指定いたします。自分の指定した数字の出た方が、相手に願っている願い事が叶う、というものですわ」
このように、絵の面と1から9の面がございますのよ。
もし、二人とも願った面が出たら、二人の相性は最高。
皇太子殿下は、どの面を選ばれます?
白い手で二個の骰子を見せながら、にっこり笑って他愛もないゲームのように説明するレルシェントに、ダイデリアルスは、まるで不審を抱く様子もなかった。
ほうほうと鷹揚にうなずき、
「霊宝族という連中は、回りくどいことをするな。まあ、これも一興」
などという、皇太子が外国の要人に口にすべき内容ではない無礼なセリフを吐いている。
特に術を行使しなくとも、レルシェントには分かった。
にやけた、ダイデリアルスの顔に書いてあるようなものだ。
どんな目が出ても、ダイデリアルスは自分の手で勝手に骰子をひっくり返し、好きな目にして。
そして、「そなたが言うたことだろう?」とばかりに、レルシェントに迫る気なのだ。
「さあ、どんな目を?」
おぞましさを押し殺しながら、レルシェントが促すと。
「1だ。1の目に賭けるぞ」
ダイデリアルスは既にその目が出たかのような自信たっぷりな調子で声を張り上げた。
実際、どんな目が出ても、その目に変えるつもりなのだろうが。
「……では、あたくしは絵の面にいたしますわ」
レルシェントは、すいっとダイストレーを持ち上げ、その中に二つの骰子を転がした。
ころん、ころころ。
その二つは転がり。
ぴたりと、同じ面を向けて止まった。
すなわち、絵の面を両方とも向けて。
すかさず、ダイデリアルスが片方を1の目にしようと、手を――
「あなたですわね?」
冷たく、凛とした声が、思いがけずダイデリアルスの体を強張らせた。
その口調に秘められた、ぞっとする容赦のなさ。
「……? 何を……」
「皇太子ダイデリアルス殿下。ルゼロスの王族の中で、ニレッティア帝国と通じてスパイ活動及びその支援を受けていたのは、あなたなのですわね?」
冷然たる糾弾に、ダイデリアルスの顔に凍てついた驚愕が浮かんだ。
何故、それを。
無言で、彼の身に纏う魔力の波長がそう尋ねている。
同時に、レルシェントの脳裏に流れ込んできた情報がある。
遊戯神ピリエミニエからの「ネタばらし」。
そもそも、ダイデリアルスを、大して自覚もないままに、ニレッティアのスパイに仕立て上げる手引きをした人物。
それが、あの、ダイデリアルスの邪悪な「遊び」の犠牲者第一号となった、あのメイド兼性奴隷の龍震族女性。
彼女は、密かに接触してきたニレッティアの手の者の誘惑に乗った。
すなわち「ここまであなたの心身と尊厳を踏みにじる男へ、破滅の切符を渡してあげなさい。寝床で誘惑し、『邪魔な他の兄弟を追い落とす方法がある、あなたの地位を完全に保証するいい手段がある』と言うのです」と。
その「手段」が、ルゼロスの内部情報を手渡すことを許す代わりに、邪魔な他の兄弟をニレッティアの刺客に始末させる、ということだったのだ。
「ニレッティアとしては、賢明にして強大なダイデリアルス様に、このまま王位を継いでいただきたい。しかし、このままでは出来の悪いご兄弟に、邪魔をされる可能性がある。ニレッティアとしては、それを避けたいのだ」
こんなニレッティアの見え透いたおべんちゃらを見抜く力も、当然ダイデリアルスにある訳もなく。
やがて、次々と。
公然たる暗殺ばかりか、不審死の類に見える暗殺も、ニレッティアの手の者によって行われ。
ダイデリアルスの政敵と言うよりは、反ニレッティアの思想を持っている者を選んで、ニレッティアの手の者は暗殺していった。
遠隔魔法によって、呪殺に近い方法で殺すこともあるので、一見頓死にしか見えない王子の死者はそれなりの数に上る。
愚かなダイデリアルスは、それを「自分の地位を安泰にする助力」としか捉えておらず、どんどんニレッティアを信用していった――吹き込まれた指示を守って、決してその考えを大っぴらにしないまま。
そして、ダイデリアルスは与り知らぬことであるが、他の兄弟たちの身の周りにも――あのグールスデルゼスは勿論のこと――ニレッティアのスパイは入り込んでいた。
スパイに選ばれたのは――ダイデリアルスを「転ばせた」彼女と同様、王子たちに性奴隷扱いされていた、側仕えの女性たち。
人として、龍震族として、そして女性としての最低限の尊厳すらも踏みにじられた彼女らの怒りと悲しみと、ニレッティアとの利害とが一致していたのだ。
彼女たちは表向きには相変わらず卑屈な性的玩具として振る舞いながら、その裏では自分たちを蹂躙している愚昧な王族たちへの反撃を開始していた。
そのことを、ルゼロス王族の誰も知らぬまま、ニレッティアにとっては順調にことが進んだ。
つまりは、取引である。
ダイデリアルスは、あの気まぐれな父王の下で皇太子であり続ける保証を求めて。
ニレッティアは、スパイ活動、及び、ダイデリアルスを通じた内政への干渉を求めて。
ダイデリアルスとしては、どんなに内政をニレッティアに踏み荒らされようと、自分の地位が安泰なら、国そのものなぞどうでも良かった。
今回の件は、最初の性奴隷女性の「あなた様の御為に」という美辞麗句の付いた提案に乗って、警察権を担当しているグールスデルゼスの部屋に、匿名の手紙を投げ込んで密告したのだ。
「オディラギアスは、ニレッティアのスパイだ。放っておけば、ニレッティアの軍や暗殺者の群れを、国や王宮に引き込むだろう。すでにその準備のため、スフェイバを離れている」と。
裏にあるのは、もちろん、ニレッティアからの指示。
「あなたが、もう少し賢明でいらしたなら、オディラギアス様がいつまでも暗殺されないのを不審に思われたのでしょうけど」
ふう、とレルシェントは溜息をつく。
ここまで反知性的な人物と話すのは、そもそも誰もが知的であることが前提に構成された霊宝族社会出身の彼女にしてみれば、魔物に生気を吸われるくらいに疲れる。
「あの方は、側仕えの女性をおもちゃにするご趣味もなく、そして才覚溢れて賢い。ニレッティアにとっても、あなた方にとっても、取り入りにくく、目障りな存在だったはず――本来ならば」
しかし、ダイデリアルスは、彼が白い鱗を持った「出来損ない」だということに安心していた。
ニレッティアの手先と化した性奴隷第一号侍女から、
「あの方は、暗殺するまでもありませんよ。だって、どうせ、あんな白い鱗で、王位なんか継げる訳がないではありませんか?」
と説得されると、深く考えることもなく納得した。
――その裏で、ニレッティアがどういう陰謀を巡らせているかも、知らぬまま。
彼女には、ニレッティアから伝えられていた。
最終的に、ダイデリアルスが王位を継ぐことはない。
代わりが頭角を現わしたら、「退場」してもらう予定だ。
父王ごと。
そうしたら。
あなたは、自由だ。
その「代わり」がオディラギアスだと、彼女は薄々感付いていただろうか。
「証拠があるのか!?」
もし疑われた時にはこうせよと吹き込まれた通り、ダイデリアルスは声を荒げた。
「全部根拠のない推測ではないか!! このダイデリアルスを侮辱して、無事で済むと」
にこっと。
怖い笑顔で、レルシェントは微笑んだ。
「先ほど、窓の外をゴーストバードが横切りましたの」
その流麗な声に、ぎくり、とした顔を浮かべたのでは、すでに認めたようなもの。
「地上では、魔術師の方が伝令に使う魔物ですわね。この、魔術師など極端に少ない龍震族の国、まして王宮に、魔術師の使い魔とは、どういうことなのですかしら? しかも、あなた様もお住みの棟から飛び立ったようですわね……?」
じっと。
レルシェントは、目だけ笑っていない笑顔で、ダイデリアルスを見詰めた。
「あの使い魔は、どなたに貸していただきましたの? 皇太子様」
弾かれたように、ダイデリアルスが立ち上がった。
「来い!! 凶霊マバイラ!! 来い!!」
絶叫と同時に、窓をすり抜けて、何やら薄黒いもやのようなものが、部屋に侵入し始めた。