「はぁ~~~っ……」
薄暗い地下牢に、重たい溜息が落ちる。
「……落ち込むなとは、言わないよ」
珍しく、物静かにイティキラが口にした。
彼女は、獣がうずくまる姿勢で薄暗い地下牢の一室に座り込んでいた。
目の前には、頑丈そうな鉄格子。
こんな本格的な鉄格子など、イティキラは生まれて初めて目にするくらいだ。
腕と四肢の先に付けられた鎖が重い。
だが、不平を口にしたところで、これがどうにかなる訳ではなく。
それに加え、もっと気がかりなことがある。
彼女の向かい側の牢には、ジーニックが閉じ込められていた。
やはり両腕を鎖で繋がれているが、彼が嘆いているのはそういうことではなかろう。
ジーニックは、途方に暮れた子供のように冷たい石床に膝を抱えて座り込み、体を丸めていた。男性にしてはやや小柄なせいか、そうしていると本当に子供っぽく見える。
「何回も言ってるけどさ」
イティキラは、しっかりしろ、と声を荒げたくなるのをぐっと抑える。
彼女もあの世界で、他人を指導する立場にいたことのある人間だ。
こういう状態の人物に、下手に発破をかけるようなことを言えば、本当に砕け散って塵しか残らないことはよくよく知っている。
「あんたのせいじゃない。それは勘違いしたら駄目だよ。この一連のこと、何から何まで、あんたは悪くないからね?」
静かに、一言一言はっきりと、イティキラは刻み込むように告げた。
ふいっと、ジーニックが顔を上げる。
弱々しく笑った。
「ありがとうでやんす。それは……一応は、分かってるんでやすよ、理屈としては」
はぁあ、とまた深い溜息。
「でも、ぐるぐる考えちまうんでやんすよ。あっしが兄貴になんか悪いことをしてきたのかなとか。……何か、波風立たない方法、なかったのかなとか」
イティキラは、自責と自己嫌悪の泥沼から、何とか這い上がろうとする、しかし足を取られ続けるジーニックを笑えない。
同時に、腹が立つ。
彼にではなく――彼をこんな地獄に押し込めて、今頃礼金片手に高笑いしているであろう、あの無慈悲で低劣なケイエスに。
「ジーニック。太守さんが言ってたろ? あれが全てだよ」
イティキラは言葉を選ぶ。
かつて弱く幼い者たちを導くために培ってきた技術、それが今役に立つ。まさに、昔取った杵柄。
「太守さんの言葉だよ。説得力あるだろ。だって、あの人、そういう兄弟に、ずっと悩まされてきたに違いないんだからさ――あんたみたいに。身分は違うけど、似たような状況だったんじゃないの?」
のろのろと、ジーニックが顔を上げた。
目をぱちくりさせる。
「ああ、間違いねえぜ。イティキラの言う通りだ。オディラギアス様だって、優秀であるが故に、出来は悪いが地位だけは高い兄弟に妬まれて大変なんだぞ」
野太い声は、イティキラの牢の隣から聞こえた。
ゼーベルだ。
「おめえの兄貴みたいな兄弟、オディラギアス様にゃ沢山いるぜ。とにかく、あの人がなにをしても気に入らねえのさ。自分より出来がいい、んで、器も大きいって、いやってほど分かってるからな。後はいじめるだけなんだ」
「そうでやすか……」
ふと、どこかほっとしたような、そんな自分を隠したいような微かな声で、ジーニックは呟いた。
「なんか受け継ぐものがあると、どこでも同じ、なんでやすかね……」
「太守さんがそうだからって、あんたの痛みが軽くなる訳じゃないとは思うけどさ。とにかく、話に聞いた太守さんの立場にあんたを置き換えてみな? どういう状況だか、冷静に見られるだろ?」
イティキラが、そう言いかけると、ジーニックは何か考え込む表情をし。
ややあって、うなずいた。
「……分かるでやんす。……そういうこと、なんでやすね……」
更に救いのない何かに気付いたのか、ジーニックの溜息は重くなるが、声にわずかだが力が戻った。
「太守さんとこの場合は、王位がかかってるってことなんだろうけどさ」
こんどの鈴のような声は、マイリーヤのはす向かい、ジーニックの隣から聞こえた。
そこに押し込められているのは、マイリーヤだ。
「ジーニックん家の場合は、家督ってやつかあ……大店(おおだな)も大変なんだね」
だが、ジーニックから返ってきたのは、力ない笑い。
「家督っていっても、うちは王族でも貴族でもないでやすからね。商家なんだから、子供が増えても暖簾(のれん)分けでもすりゃいいだけの話で……」
今度はイティキラが溜息をついた。
「あんたの兄さんには、それが分からなかったんだよ。だから、これはあんたの問題じゃなくて、あんたの兄さんの問題」
そうきっぱり言い聞かせると、ジーニックは再び何かを考え込み。
そして、何かが胸に落ちた顔になる。
「あんたは、兄さんの問題に巻き込まれただけ――分かる?」
ジーニックは、どこかぼんやりうなずく。
完全には納得していないかも知れないが、筋は通っていると判断したのかも知れない。
「医者でもアドバイザーでもないあんたが、身内とはいえ他人の問題をどうにかしてやろうとしちゃ駄目だよ。まず、無理」
キッパリ、イティキラは断言した。
「後は、自分の問題に集中しなきゃ。まー、こっちの問題も、簡単ではないけど……」
イティキラは、周囲の石壁と鉄格子を見回す。
「あー……心配だなー、レルシェと太守さん、大丈夫かなー。拷問なんか、されていないだろうなあ……」
不安げな声を上げたのは、マイリーヤだ。
「いや、悲鳴らしきものも聞こえねえからな……尋問はされてるかも知れねえが、拷問まではねえと願いてえが……」
苦虫を噛み潰す表情が想像できる調子で、ゼーベルが呻くのが聞こえた。
「……とにかく、ここから全員で逃げ出さないと。悪いけど、お国の偉いさんの都合に付き合ってなんか、いられないからね」
イティキラはぽんと投げ捨てるような口調で呟き、再度周囲を見回した。
先ほど確かめたが、鍵は頑丈、そして石壁も石の床も分厚い。
普通の方法で逃げ出すのは不可能だ。
「逃げ出すも何も。まず、六人揃わないことにはなあ……」
ゼーベルが再度呻く。
と。
ちりちり、ちりちり。
何か、繊細な音が聞こえてきた。
例えるなら、鈴を軽く打ち振る音だろうか。
金属の鈴とは、微妙に違う音――
この中のメンバーの記憶の中にある音で言えば、上等な陶器の鈴を振る音に近いだろうか。
「……なに、この音?」
ぎくりとしたマイリーヤの声にお構いなしに。
音は、だんだん大きくなっていった。