「アイルレーシャ陛下、会見をお許しいただけましたことを感謝申し上げます」
用意された椅子から立ち上がり、オディラギアスは、その年若いメイダル女王に一礼した。
レルシェントから急ごしらえでレッスンされた、霊宝族式の礼を取る。
胸の前で両腕を交差させる礼は、一種の礼拝のような優雅さが漂うが、実際にこれはメイダルの守護神オルストゥーラ女神に対する礼拝の仕草が、簡略化されて人類同士の礼に転化したものだという。
女神に護られたメイダルらしいエピソードであると同時に、オディラギアスには希望をさらに膨らませるおまけが付いている。
つまり、オルストゥーラ女神は、純粋霊宝族のみならず、霊宝族の血を引く他種族の祈りも聞き届けてくれるらしい。
それは今自分たちの背後で警護を務めてくれているマーゼレラーン、ゼナスフィールの寿龍族父子も、十分に祈りを聞き届けてもらった経験があることからも明白だ。
アイルレーシャ女王のすぐ下座には、レルシェントとよく似た風貌で、額の宝珠が文字通りあけぼの色のダイヤモンドに似た曙映華石の女性が座っていた。長くゆるやかにうねる髪も同じ胸に迫るあけぼの色で、レルシェントと似ていながらまた違った、心揺さぶられる女性だ。
彼女こそはレルシェントの実母にして、このメイダルでの宗教的権威の最高峰、大司祭ミスラトネルシェラ。
この宗教と密接に絡み合った魔法が支配する王国で、その権威は時として女王すら凌ぐこともあるとされる、権力者の中の権力者だ。
彼女と、王宮の重臣たちがメイダル王宮会見室のテーブルに就き、その上座に会見用玉座に、女王アイルレーシャが座していた。
話には聞いていたが、とオディラギアスは思う。
少女王アイルレーシャは、予想していたよりも幼く見えた。
まるで、無垢な美というものを地上に知らしめるべく、女神が遣わした人形。
そんな風に見える。
紺碧を映す額の宝珠、同じ色の目、それを引き立てる輝く雲のような白銀の髪は、元の世界の天使をどこか彷彿とさせた。
成熟前の、硬質な美しさと可憐さ。
だが、その目には周囲の大人を弱々しく思わせるような、強い知恵と理性、そして意思を示す澄んだ光があった。
額の青い祝天石と同じ、目くるめくような青い瞳に見据えられると、放射される強烈な魔力に捉えられ、思わず平伏してしまいそうになる、そして隠し事など一つもできない気分になる、そんな少女王だった。
同時に、この人に任せておけばどんなことでも何とかなると――その幼さの残った見た目にも関わらず、全幅の信頼を置かせる、そんな奇妙な力。
一行は六人、それにプラスして、亡命を要請するスリュエルミシェルも加わっていた。
「オディラギアス殿下、前置きを長くしている場合では、ございませんでしょう?」
少女王アイルレーシャは、きっちりした前置きを挟みたいオディラギアスを遮った。
「レルシェントからはごく搔い摘んだ内容を聞かされておりますが……ルゼロスの王族であらせられるあなたから、詳しいことを伺いたいのです。すぐ、本題に入りましょう」
その物腰から、女王がこの問題に大きな関心を寄せているのが伝わってきた。
オディラギアスは礼を述べ、改めて話し出す。
「輝かしき女王陛下、並びに誉むべき重臣の方々よ。我が故郷ルゼロス王国は、お恥ずかしながら、未曽有の腐敗の只中にあり、もはや倒壊を待つばかりとなっております。どうか、我が故郷を立て直すのに、ご助力を願いたいのです」
オディラギアスは、霊宝族式に相手を賛美しつつ、そして決して卑屈にならぬ王者らしい態度で、現在の故郷の窮状を訴えた。
もはや国民の幸福にも国政自体にも見向きもしない、王族の腐敗ぶり。
貧富の差は開き、持つ者は国の最後の生き血まで吸い尽くそうとし、そして持たざる者は搾取に甘んじて日々を誤魔化し続けるしかない悲惨。
隣国ニレッティアに干渉され尽くしているのに、それを振り払う力も自覚も持たない罪悪的な怠惰。
そして、武威を誇る龍震族の国でありながら、遺跡をどうにもできない中途半端な国力。
結局それが巡り巡って、ルゼロスの龍震族の者たちの精神を削り歪めているのかも知れない。
レルシェントは、道中自分の耳で聞いたルゼロスの国情を訴え、オディラギアスの言葉に嘘偽りのないことを、司祭家巫女姫の名誉にかけて保証した。
そして、もし、霊宝族の遺跡が彼らの生活を圧迫している故にこうした歪みが生まれているなら、これは霊宝族にも責任の一端があるという意見を。
オディラギアスの証言の中でも特に、霊宝族の血を引くことを誇り、オルストゥーラ女神の教えを信じる彼らのこころを動かしたのは、オディラギアスの身内男性たちの性的無軌道ぶり。そして、意図的に引き起こされる母性及び子供の命を弄ぶ悪徳だ。
面白半分に身分の低い女性に子供を産ませ、そして捨てることを彼らは楽しんでいると、はらわたを針で貫かれるいたたまれなさに耐えてオディラギアスは説明した。
そのおぞましい話を聞いた彼らは一様に肝を潰し、そして嫌悪と同情に耐えかねて、それぞれの仕草でオルストゥーラ女神へ救いを求める祈りをささげた。
マーゼレラーン、そしてゼナスフィールも沈痛な表情で、聞き取れないほど低く祈りを唱えながら、厄除けの仕草を見せた。
「おお、何たる悲惨!! このようなことが許されて良いものか」
「女神よ、憐れむべき母子を救いたまえ!! 本来あるべき神聖さに、彼女らをして復帰させたまえ!!」
「こうして救いを求めて王族の方がおいでになられた以上、すでにこれは他人事ではない!! これを放置して、何が女神の民か!!」
レルシェントから聞いていた通り、母性というものを重んじ神聖視するメイダル国民にとって、ルゼロス王族の悪行は、単なる度の過ぎた放蕩に留まらぬものらしい。彼らにとってそれは、許しがたい神聖冒涜に当たるのだ。
最初はルゼロスへの介入に慎重な立場だった重臣たちまで、この告発を耳にした途端、一気にルゼロス介入の立場に傾いた。
流れが加速し、そして最後の一撃になったのが。
「大いなる女王陛下。実は、わたくしの元に、先日オルストゥーラ女神からの神託があったのです」
そう切り出したのは、レルシェントの母にしてメイダルの大司祭、ミスラトネルシェラだった。
「『地上において、重大な神聖冒涜がある。それを告げに来る者に力を貸し、邪悪を討ち取れ』というものです。一体、何のことかと報告を保留しておりましたが、オディラギアス殿下のお言葉で、ようやく意味が取れました」
その言葉を聞いた途端、重臣たちがどよめき、女王も瞳を輝かせた。
「寛仁(かんじん)なる女王陛下。どうぞ、ご決断を」
静かな、だが揺るぎない声で、この神聖なメイダルで最も女神に近しき司祭は決断を促した。
「もし、陛下がご決断下さらないというのなら、わたくしは大司祭権限で、独自に僧兵団と、神殿所属艦隊を動かします」
最後通牒のように、ミスラトネルシェラはその言葉を放った。
「更には大司祭の名で義勇軍を募り、オディラギアス殿下にお貸しするつもりでおります。恐らく、多くの寿龍族の方々が名乗りを上げるでしょう。義理堅い方の多い彼らが、遡れば自らの兄弟姉妹であったかも知れぬ者の苦難を見過ごすとは思えません」
最後に、改めて女王の決断を促し、ミスラトネルシェラは答えを待つ意の沈黙に入った。
オディラギアスの目が炯々と輝く。
例え、女王が国軍を動かしてくれなくとも、オルストゥーラ女神教団所属の軍が味方になってくれる。
そして、このメイダルでは、宗教はルゼロス国民が想像もできないくらいに強大な力を持っているのだ。
しかし、それであっても、その後の有利さを考えれば、魔法王国メイダルとしての公式な援助は欲しいところではある。
あの愚昧な王族たちを討ち取って、戦いは終わり、めでたしめでたしにはならぬ。
恐らく、本当に困難な闘いは、その後にやってくるはずだ。
やがて、アイルレーシャが口を開いたが。
「決断の必要はありません」
きっぱりと言い切ったその口調に、オディラギアスの視界が暗くなる。
その決断も、分からぬではない。
もし、これに介入すれば、メイダルはルゼロスを抱え込むことになる。
国としての様々な援助、そして遺跡を無害化するという負担が要求される。
更には、厄介なニレッティアとのもめごとにまで巻き込まれることになるのだ。
メイダルが豊かなのは知っているが、際限もない援助にゴーサインを出すことができるかとなれば、話は別であろう。
しかし。
「もう、決断はしているからです。メイダルは、国として公式にオディラギアス殿下を支持、支援し、ルゼロス王国に介入いたします」
その言葉で、オディラギアスは一瞬真っ白になり。
直後にその黄金の瞳に、歓喜と意思の炎が宿った。
「そして、オディラギアス殿下のご母堂、スリュエルミシェル様のお身柄は、このメイダルの国賓として、厳重に保護させていただきます。……王宮護衛士、ゼナスフィール!!」
アイルレーシャ女王は、高らかにその名を呼んだ。
彼が、は、と短く答えて一歩前に出る。
「あなたを、スリュエルミシェル様の専属護衛士に任命いたします。本日只今より、王宮に泊まり込み、二十四時間体制で、スリュエルミシェル様のお身柄をお守りしなさい!!」
一礼したゼナスフィールが、スリュエルミシェルの脇にひざまずき、臣従の礼を取る。
彼女がほんのり赤くなっているのは、気のせいだろうか。
「さて、オディラギアス殿下。具体的なお話をいたしましょう。これは一刻でも早く進めなければなりません」
少女王に促され、オディラギアスは深く礼を述べて、新しいフェイズに進んだ。