「いい店だな。雰囲気が素晴らしい」
オディラギアスは、独特のガラス細工の天井から、和らげられた光が降り注ぐ神秘的で優雅なカフェの店内を見渡し、そんな風に呟いた。
魔法王国の本島、白い石と、優雅な装飾で形作られた華やかな中心街のカフェに、オディラギアスとレルシェントは来ていた。
昨夜行われた、女王アイルレーシャと重臣たちとの会見は、深夜まで及んで白熱した。
女王の鶴の一声のもと、メイダルのルゼロス王国への介入は確定、それについての具体的な部分についての話し合いが行われた。
まず、メイダル王国は地上に介入するに当たり、オディラギアスをルゼロス王国の新しい国王として支持すること。
そして彼が王位に就くことを条件に、遺跡の無害化を始め、技術移転など、様々な援助を行うことを確約した。
対してオディラギアスがメイダル王国側のメリットとして挙げたのは、遺跡を無害化した後に確保されるであろう、広大な農業好適地を利用して行われる、大規模な農耕の結果としての農作物の輸出だった。
メイダルは、農産物も一部魔法で賄っているが、じりじり増え続ける人口に対して、遠くない未来に食料の不足が始まるだろうと予想されていた。
それを補うため、ルゼロス王国からの大規模な農作物輸入が期待された。
また、同時に、ルゼロス王国に対して、魔導科学技術の移転に伴う、メイダルからの移民の受け入れも提案された。
『ご存知のように、霊宝族やその血を引く種族の寿命は、千五百年に及びます。つまり上の世代が、いつまでも地位を占めるということです』
アイルレーシャは説明した。
『無論、優秀で信頼できる人材を、長く活用できるというメリットはあります。しかし、逆を返して言えば、若年層に優秀な人材が輩出されても、上の世代がポストを占めているため、活躍の場がない、ということも起こっているのです』
オディラギアスはなるほどとうなずいた。
『陛下。優秀でありながらくすぶっておいでのメイダルの若い技術者の方々を、我がルゼロスの新生のためにお貸し下さい。我が故郷の文明レベルが、メイダルとまともに交流できる程度にまで高められれば、決してこの祝福された国家の不利にはならないでしょう』
かくして、交換条件は成立した。
細かいところを夜中まで詰め、オディラギアスはクーデターの具体的な青写真を掴んだ。
そして、昼前に目覚めた今日。
オディラギアスたち一行は、女王と重臣たちがメイダル内部の調整に向かうというので、その間に、メイダル本島内部の観光に向かうことになった。
今後、密接な関係を築くことになるメイダルの文化、雰囲気といったものを把握し、おおまかにでも慣れてもらうために、女王側から提案されたのである。
緊張した昨夜から一転、少しリラックスしてもらおうという気遣いでもある。
オディラギアス始め一行は、有り難くその心遣いを受け、マーゼレラーンを護衛、そしてレルシェントを案内に、市中へ繰り出した。
スリュエルミシェルの方は、護衛士となったゼナスフィールと共に、王立図書館に籠っている。
彼女は、メイダルの歴史や文化は勿論、自らの種族龍震族について、霊宝族が記した客観的な記録を確認したがった。
龍震族の文化の傾向上、無理からぬ部分ではあるが、古くなればなるほど、歴史も「英雄譚」といった色合いに染められて、正確な記録が残りにくいのだ。
そこで、他種族であり、知性と正確さを重んじる霊宝族の記録を確認し、正確な自らの種族の来歴を知りたい。
それがスリュエルミシェルの願いだった。
かくして、六人は街へ出て。
まず驚いたのが、メイダルの首都ヌーリアリーンの、夢ではないかというような美しさだ。
街行く人々まで含めて、きっぱり「醜い」と言えるようなものが見当たらない。
街のどこを向いても、地上の基準では、幻想絵画のように美しいのだ。
ごく普通の人家や店舗まで、建築様式がメイダル特有の魔術的優雅さに彩られ、しかも周囲と調和を保って美しい。
発光石の彫刻と、それに纏わりつかせられた瑞々しい蔓植物。
民家の庭のささやかな、しかし、赴きのあることこの上ない噴水。
鮮やかな緑の不思議な街路樹には見たことのない花が咲いている。
空中には交通機関として、優雅な曲線の空飛ぶ船が行きかう。
まさに、「夢見るような美しさ」――それが、このメイダルの「標準」だった。
レルシェントが特別に張り切って趣味の良い魔導具の数々を揃えたのだと思っていた一行は、必ずしも彼女がそこまでむきになってはいなかったのだと思い知る――メイダルなら、その辺にあるものを適当に選んでみても、みっともないものにはなりようがない!!
もちろん、レルシェントの魔導具の趣味はメイダル基準でも良いものには違いないのだが、財産を損なうほどに無理したようなものではないという言葉に、ようやく納得した一行だった。
さて、どこを見物しようかと目移りしていた一行に、ジーニックがかけた言葉が。
「カフェに入りやしょう!!」
堂々と、自信を持って、ジーニックはカフェでリラックスすることを提案した。
「新しい街に来たら、カフェでやすよ!! 街の雰囲気とか、そこの住人が何を重んじているかとか!! カフェに入ると大体分かるでやす!!」
ルフィーニルでもそうでやしたよ!! という追加説明と、レルシェントの「メイダルの珈琲こそ、本物の珈琲なのよ!!」という主張に、一行はとりあえず、レルシェントおすすめのカフェに入ることになった。
◇ ◆ ◇
「くっ、悔しい……!! 悔しいでやす……!! ルフィーニル出身として、悔しいでやす!!」
湯気の立つカップを前に、ジーニックはぷるぷるしていた。
「あっしが、故郷のルフィーニルで飲んできた珈琲は……確かに……泥水でやんした……!!」
そのテーブルの向かいで、イティキラが一心不乱にまた違った種類の珈琲を飲んでいる。
「……これって珈琲、なの……? 何か違うもんなんじゃ……」
まさに舐めるように飲んでいるのだが、いまいち子供っぽい飲み方を注意する者もおらず。
「元の世界でな」
レルシェントと向かい合って座ったオディラギアスが、ふうっと溜息をついた。
手には精緻な絵柄のコーヒーカップ。
彼の頭上に、天井の精密なガラス細工を仕込まれた天上から降り注ぐ光が、きらきらとまばゆく。
「小説や映画などで、偉そうに珈琲を『泥水』呼ばわりして飲まないとか、安い珈琲を馬鹿にする通気取りのキャラクターという奴が、私は大の苦手だった」
「あら……あなたらしいわ、オディラギアス。あなたは個人的な嗜好に過ぎない問題で、他人を値踏みする人物って、嫌いですものね」
うふふっとレルシェが笑う。
星をちりばめたような髪が、頭上からの光の反射でよりきらめいて神秘的だ。
彼女の目の前にも、薫り高い、高地産の珈琲豆を使った珈琲がある。ゆったりとしたペースで、彼女はそれをなまめかしい口に運んでいた。
「……だが、それも今日までだ……」
「?」
レルシェントが首をかしげる。
「……あまり好きな言い方ではない、ないが……あえて言わせてもらおう。ここの珈琲に比べれば、私が今まで珈琲と呼んできた飲み物は、確かに泥水だ……」
すいっと一口、その有名な渓谷の側で採取された豆を使った珈琲を口に運び、オディラギアスは深い満足の溜息をついた。
芳醇に包み込むような絶妙な苦み。
ごくわずかで上品な酸味は、まろやかさをむしろ強調する。
全身を満たすかのように思える素晴らしい香り。
一口飲むだけで、心が天空に踊る。
彼らのすぐ後ろのテーブルではジーニックとイティキラ。
そして二つ離れたテーブルでは、ゼーベルとマイリーヤがくつろいでいる。
ちなみにマイリーヤは珈琲の他に、絶妙な甘さまろやかさの、メイダル名産の焼き菓子を口に運んでご満悦だ。
護衛のマーゼレラーンは、カウンターの一角で、彼らの様子を微笑まし気に眺めながら、自らも気に入りの銘柄の珈琲をすすっていた。
縁に洒落た彫刻のある粋なテーブル始め、こだわりの感じられる内装。
趣味の良さのうかがえる、その当の店主は、カウンターの中でにこにこと微笑んでいた。
深い緑の中に、金色の巻貝のような文様が浮かび上がる、緑螺旋石の宝珠を額に持つ上品な霊宝族の美男である店主は、白と緑の布を巧みに編み込んだターバンで緑の陰影の髪をまとめ、手際よく客の注文に答えている。
「……そなたは、ここで育まれたのだな」
オディラギアスは外の雑踏を、硝子扉越しに眺める。
意外とというか、メイダルの種族構成は、多彩だった。
恐らく、ニレッティア帝国の首都ルフィーニルより多彩だ。
確かに圧倒的に多いのは純血霊宝族なのだが、彼らに混じって他種族との混血種族や、混血種族同士の婚姻で生まれる完全な他種族などもかなり混じっている。
聞けば、三千年前の大戦敗戦の際に、宗教上の理由から、他種族の子供を宿した母親や、他種族の妻を支える霊宝族の夫、そして既に生まれていた他種族との混血種族の子供たちを、霊宝族は排斥しなかった。一緒にメイダルに避難させ、国民として認めたのだという。
その子孫、少数民族として存在する彼らが、メイダルの文化をより豊かにし、多彩さを添えているのは説明されるまでもない。
「……あたくしの実家は、大司祭家ですもの、神殿には、メイダルに暮らしておいでの色々な種族の方が来られたわ。そして、女神の恵みは、どなたにも等しく与えられた。こういう環境のお陰で、あたくしは狭量な人物にならずに済んだの」
ふう、とレルシェントは溜息をこぼした。
「あなたは、あたくしをできた人物だって評価して下さるけど、それは幸運の産物なのよ。あなたや、マイリーヤやイティキラみたいに、周りに理解されずに笑われるっていうことは、一時期除いてほとんどなかったわ。メイダルの学者たちが議論する『多世界理論』にあたくしの証言は合致していたから、貴重な学術的証言と見なされた」
それも、恐らく司祭家の娘だっていう条件のお陰で、普通の家の娘だったりしたら、認められるまでに少しかかったのかもね、と付け加える。
「こんな怪しげなことを言う女が、更に怪しげな記録を元に『全知の石板』なんていうものを下界に探しに出る許可をもらえたのも、現在の女王アイルレーシャ様の先進的なお考えのお陰なの。あたくしはみんなに比べて優秀って訳ではなく、突出して幸運だったのよ」
それが、客観的事実。
レルシェントはそう重ねて口にした。
「いや、それが全てとは思わぬ」
じっと、オディラギアスは彼女を見詰めた。
「そなたと同じ環境に、身を置いたら分かることがある。……この楽園としか言えぬようなメイダルから離れて、敵地でしかない地上を旅するということが、どんなに勇気がいったか。何もかも不足しているなど、分かっていたことであろう?」
私がそなただったら、そんなことを考えもしなかったやも知れぬ、とオディラギアスは呟く。
そして、そっと鱗に包まれた手で、レルシェントの繊細な手に触れる。
彼女がはっとした。
「改めて礼を言いたい。勇気を出して地上に来てくれて、そして私を仲間と認めてくれたこと、感謝している。そなたが、くすぶるしかできなかった私の扉を開き、ここまで連れ出してくれたのだ」
レルシェントと出会えていなかったら、自分はどうだったであろうと考えると、かなりぞっとする。
実現するあてもない理想を抱くだけで、何もできない陰鬱な日々をやり過ごすしかなかっただろうことは、考えるまでもない。
当然、故郷ルゼロス王国は土台まで腐敗しきって倒壊するのを待つばかりだったはず。
今しも実現化しようとしている改革など、あの状態のままであったなら、夢のまた夢のまま、静かに死んでいったであろう。
「そう思ってくれて嬉しい……でもね」
レルシェントが、そっとオディラギアスの手を握り返す。
「それは、あたくし自身に対するあなたにも言えることなの。あの時、スフェイバで出会えてなかったら、あたくしの旅は違っていたでしょう。恐らく、どこかで行き詰まっていたはず」
あなたこそ。
あたくしと出会ってくれて、信じてくれてありがとう。
そうか、ああ。
自分たちは。
オディラギアスは、愛しい女の目を覗き込んだ。
互いが、互いの、扉だったのだな。