「あれ……えっと、この部屋で最後、でやすよね……?」
ラグゼイの遺跡、コアルームに踏み込んだジーニックは、人気《ひとけ》のないがらんとした部屋を見て、困惑に駆られた。
「あ、兄貴……兄貴、いるのかよ……?」
「いや、どう考えても、誰もいないだろコレ……」
すぐ側のイティキラに突っ込まれて、ジーニックの困惑はますます濃くなる。
「どうなってんだ……兄貴、どこに行っちまったんだよ!?」
その叫びは、何千年も前から主なく駆動する思考機械に、跳ね返って消えた。
「ふむ。やはりどこにもいないな……どういうことだ?」
この遺跡の中枢をなすコアルームの奥、大型思考機械のモニターパネルの前に集まって、一行は情報を整理し始めた。
「おかしいですわ。全部の部屋を見て回ったはずですし、それにこの思考機械の生命波探知機能を使っても、内部にあたくしども以外の神聖六種族は存在しないはずですのに」
レルシェントは、自らの額の宝珠――つまり、霊宝族だという証拠――を生体認証にしてロックを外した思考機械を、滑らかな手つきで操作していた。
この遺跡に、スフェイバのケケレリゼのようなアバターは存在しない。
指令は、コアルームで思考機械に直接入力しなければいけないのだ。
巨大なモニターには、スフェイバの時と同じような「遺跡の透視図」が浮かび上がっており、その内部に点々と、青と緑の光点が見える。
一行は、レルシェントに教えられて、その青い光点が機獣、そして緑の光点が古魔獣だと知っていた。
ついでに、コアルームに集まっている、五つの赤い光点は、霊宝族以外の地上五種族。
そしてその中で一つだけ白い光点が、霊宝族を示しているのだと。
いかにも毒々しい色合いの、かつての「霊宝族の敵」を示す赤い光点を見ていると、古の霊宝族たちが他の五種族をどんな風に捉えていたか如実に思い知らされるようで、五種族たる五人は微妙に落ち込んだ。
「その……言いにくいけど、ジーニックのお兄さん、古魔獣に……その」
マイリーヤがおずおず切り出すと、ジーニックの表情が引きつった。
「いえ」
だが、レルシェントはその不吉な推測をきっぱり否定する。
「この遺跡の古魔獣――水轟巨人は、人を食料にするタイプではなくてよ、マイリーヤ。水でできているので、水さえあればいいのよ」
そう言われると、マイリーヤ始め一行は、安堵と困惑が入り交じった感情を抱かざるを得ない。
「しかし……すると、一体、ジーニックの兄貴って人はどこに」
ゼーベルがまるで透明人間でも周りにいるかのように、周囲を改めて見回した。無論、思考装置とその補助機構以外の何かが見える訳ではないが。
「……わずかな可能性で考えられるのは、入れ違いで遺跡の外へ出られたということと……」
レルシェントが口にすると、オディラギアスが首をかしげた。
「……しかし、そんなに簡単に、魔導武器も持たない並の人間が、遺跡を出たり入ったりできるものなのか?」
「それが問題ですわ……。もう一つ考えられるのは……この遺跡の外周部、湖に面した回廊や窓から、下の湖に落下した、あるいは突き落とされた可能性、ですわね……」
刃物のようにひんやりした沈黙が落ちた。
「あ、兄貴が……そんな」
ジーニックが唇を震わせる。
「……そもそもジーニックさんのお兄様が遺跡に入らなかった、という可能性は排除できると思いますわ。この遺跡の機獣と古魔獣の数からして、最低でも四人の完全武装した人間族は必要かと。そして、その中のお一方が、遺跡に入っていたのですから、他のお三方も当然」
ジーニックに同情の目を向けながら、それでもレルシェントはきっぱり推測を述べた。
「しかし、あたくしたちがくまなく探しても、あの水轟巨人に殺された方以外の三名の方が見当たらない。これは、通常のルート以外で外に出た可能性がありますわ……」
「なるほど。すなわち、湖に自ら飛び込んだか、何者かに突き落とされたか、か……」
オディラギアスは顎をひねる。
考えてみれば、この湖には、人間族をエサにしようとするような、大きくて凶暴な魚は存在しない。棲息しているのは、かつて星暦時代に放たれた食用魚の子孫と、それらを養うための生態系――より小型の魚や甲殻類などだ。
この湖に飛び込むこと自体は、危険ではない。
ただ、「遺跡のどこから飛び込んだか」は、重要だ。
あまりに高い位置から飛び込めば、飛行能力のない人間族は水面に叩き付けられて命を失うことになろう。
「……どうする? 一旦外に出て改めて探す?」
珍しく静かな声で、イティキラが呟いた。
ちらっと、ジーニックを気にする。
「湖に落ちただけなら、今頃岸辺に泳ぎ着いて、街に引き返している可能性もあるよね?」
いや、と異を唱えたのはゼーベル。
「あの、脅迫野郎が言ってたことが気になるんだよ。ジーニックの兄貴の命が惜しければ……的なこと、ぬかしてただろ?」
ふむ、と再度の沈黙。
「あの人の言ったことがその通りだとするなら、ジーニックのお兄さんて、他の二人に人質みたいなことにされてんの?」
マイリーヤが、首をかしげた。
「おかしいよね。なんでそんなことを? その人たち、ボクらが来ることを知っていた訳じゃないでしょ?」
ボクらがどういう存在で、どういう武器を持ってるかとか知ってたら、脅迫しようって気になったかも知れないけどさあ、とマイリーヤが付け加えると、一同ははっとした顔を見合せた。
「……妙ですわ」
レルシェントがきゅっと唇を噛んだ。
「妙だな」
オディラギアスが腕組みする。
他の面々も、それぞれに困惑を露わにした。
「妙だと言えば、すっかり忘れていたでやすけど」
思い切ったように、ジーニックが口を開く。
「この遺跡にあるはずの、『全知の石板』って、その、どうなってるんでやしょう……?」
あ、という空気が広がった。
「……検索してみますわ。『全知の石板』……」
レルシェントが再び思考機械に向き直った。
「……また別の場所……『メロネリの遺跡』……?」
レルシェントのその言葉に、マイリーヤとイティキラが目を見開いた。
「メロネリ!? 今メロネリって言った!?」
「そこ、あたいらの故郷の近くだよ!!」
叫んだ二人に、レルシェントが目を向ける。
「最初に会った時に聞いた、あの、森の中の遺跡ということ……?」
「うん、そう、それ!!」
勢い込んで、マイリーヤがうなずく。
「ああ、どうなってるんだろうな……あの後、何もなきゃいいけど……」
イティキラが、珍しいどこか気弱な表情を見せる。
「……確か、傭兵崩れの野盗の群れに襲われて、それをレルシェントに助けられたのだったな……そなたらが旅立つ時点では、その件は解決していたのだろう?」
オディラギアスが尋ねると、マイリーヤとイティキラはうなずいた。
「うん。無事にゴタゴタの処理をして、レルシェに機獣と古魔獣除けの魔法までかけてもらってから出発したから、遺跡から出て来た何かに……ってこたぁない、多分」
イティキラが説明すれば、
「ボクらの育った集落は、フォーリューンの森っていう場所にあるんだ。遺跡に近いから、逆に並の野盗なんかは警戒してなかなか近付いてこなかったんだけど、あの時は……」
たまたま遺跡が平和な時と、野盗が押し寄せてきた時が重なってさ、とマイリーヤ。
「どの道、ジーニックさんのお兄様の行方を探ってからになるわね。このままじゃ、落ち着かないわ」
奇妙さに耐えきれない様子で、レルシェントが形の良い眉をひそめる。
「ジーニックさんのお兄様の身に何が起こったのか解明しない限り、前に進む訳にはいかなくてよ……」
思わずといった調子でこぼれたその言葉に、同調しない者はいなかった。
「仕方ねえな。遺跡の外に出て、湖の周囲をぐるっと回って探そうぜ」
内心不吉な予感を覚えながらも、努めて気安い調子で、ゼーベルは口にする。
「それが良かろう。急ぐか。今この瞬間、まずいのかも知れぬのだからな」
オディラギアスに促され、一行は再び、陽の光差す外の世界を目指したのだった。
しかし。
そこで待っていたものを、想像できていた者は、誰一人たりとも、いなかったのであるが。