1-1 それは縁起物

「うう~~~、招きっ子様!! なにとぞなにとぞ!!!」

 必死の面持ちで妙羽に手を合わせる少女に、妙羽は気の抜けた苦笑を返した。

「そんなに思い詰めなくて大丈夫だよ~、テストの範囲、教えたとこで合ってると思うよ?」

「ホント!? マジで、今度追試になったら内申含めてヤバイの、うち、私立に行けるほどお金ないからさ!!」

 ぐっと拳を握るツインテールの友人・星涼香《ほしすずか》に、妙羽はへにゃへにゃと笑って見せる。

「落ち着いていれば大丈夫。緊張するのが一番良くないよ。範囲の勉強はしてきたんでしょー? ならだいじょーぶ!!」

 およそ緊張感を生まれてこの方感じたことがなさそうなへにょへにょした調子で、「招きっ子」こと妙羽はそう断言した。

 

「招きっ子様ぁ~~~、どうかこの片頭痛治してけれ!!」

 涼香のすぐ隣にいたショートヘアのスリムな少女、一之瀬桃《いちのせもも》が、妙羽の綺麗に櫛けずられた側頭部当たりに手を当てて、何やら一心に祈っていた。

「ん~~~? 頭痛いのぉ?」

 右の側頭部が桃の手のぬくもりであったかい。その熱に乗るかのように、何かにつけて襲い掛かってくる頭痛へのうんざりした感情が伝わってくる。

 桃が何でこんなことをしているのか、妙羽も含めてクラスの誰もが理解していること。

 つまり、神社によくある「撫で牛」などと同じだ。

 妙羽の体の、自分の患部と同じところを撫でれば、病魔が退散するというご利益だ。

 何故か妙羽にそうした「ご利益」があるのは、クラス内はおろか校内でも有名らしかった。

「あ、なんか心なしか頭痛引いてきたような……?」

 桃が自分の頭に触れる。

 そりゃそうでしょ~、そういう力使ったからね!

 そんな風に、妙羽は心の中で一人ごちる。

 

 朝のホームルーム前のひと時、教室の片隅では、タータンチェック柄のリボンタイとスカートが翻って花が群がり咲くよう。

 その中心に祝梯妙羽《いわはしたえは》はいた。

 妙羽は妙に鮮やかな雰囲気で目を引く少女だった。

 特に制服を派手に改造している訳でも、髪型に凝っている訳でもない。

 しかし、光の強い澄んだ目と、放射する澄明な雰囲気は、妙羽のいる場所だけ明るい光を感じさせるような、そんな効果をもたらしていた。

 

「おめーら、巣鴨のジジババと地蔵かよ? 朝から何やってんだ?」

 妙羽の側の席の男子生徒、継田勇樹《つぐたゆうき》が失笑混じりに騒ぎを混ぜっ返す。

「お地蔵さんより、妙羽の方がご利益あるってば!! これはマジモンだって!!」

 涼香がぐいっと拳を握る。

「そうそう!! 自分だって助けてもらったことあるくせにさ!!」

 桃が自身たっぷりに胸を張る。

 

「祝梯妙羽は幸運を呼ぶ」

 

 そんな益体もない迷信は、今やこのクラスの中では、地球が丸いことと同じ程度に自明のことと見られていた。

 彼女の「招き猫」をもじったあだ名、「招きっ子」は、その「事実」に由来している。

 妙羽の周囲の人間にも及ぶ幸運は、中学生の頃から有名だった。

 テストの範囲を言い当てることから、果ては危険をあらかじめ予言し、それを忠告の形で回避させることまで、妙羽のその奇妙な力は周囲の人間に大きく影響した。

 ただ単に彼女の近くにいたり、親しくするだけでも、ささやかな幸運が転がり込んでくる。

 それは道端でお札を拾うことから、一見不幸な失恋が、ストーカーの被害からその人物を救うことであったりと、ささやかだが決定的な作用をもたらした。

 それこそ古い時代に、村はずれの地蔵に手を合わせる村人のように、妙羽のクラスメイト――同学年の者も――は彼女を頼った。

 あまりにも頼り過ぎ、努力を怠る者には、妙羽からのやんわりとした忠告が入った。

 が、流石にそこまで至る者は周囲から諫められたので、今のところあまり大きな問題は起きていない感じだ。

 

 と。

 がらりと、教室の戸が開いた。

 

「はい、席についてー。転校生紹介しまーす」

 きびきびした声と動きで教室に入って来たのは、この1年C組の担任、政治経済の教師の橘翔子《たちばなしょうこ》だった。小柄な体だが、ピシッとしたスーツを身に着け、髪をバレッタで束ねたスマートな出で立ちだ。目鼻立ちもくっきりの美人で、えこひいきをしないため、生徒に人気の高い教師である。

 彼女の後ろから入ってきた男子生徒の大柄な体を見て、教室の一部がどよっとどよめいた。

 こんな時期に転校生?

 妙羽は奇妙な気分でその男子生徒を見る。

 その男子生徒の発散する威圧感は、必ずしも190cm近い身長に、がっちりした体格だけが原因ではなさそうだ。

 妙羽は癖のある髪を長めにしたその生徒の趣に、「古武士」という言葉を思い浮かべる。

 無論、老け込んでいる訳ではなく、妙に貫禄のある雰囲気で迫力があるのだ。

 恐らく、彫りが深い目鼻立ちと鋭い眼光も、その印象に一役買っている。

 もっと表情と雰囲気が柔らかければ、女子生徒にすぐに騒がれるくらいに端正な顔立ちなのだが、妙羽の見る限り、どちらかというと彼女らは怖がっている。抜き身の日本刀のような雰囲気に、完全に呑まれているのだ。そして、その委縮ぶりは必ずしも女生徒に留まらない。

 

 この子、何で、転校してきたんだろうなあ。こんな中途半端な時期に。

 転校生だという第一声を聞いた時は、恐らくいじめか何かで転校せざるを得なかった気の毒な人物なのかなと思っていた。

 が、この大迫力の人物をいじめようという度胸のある高校生が、そう沢山いるとは思えない。

 この辺ではまるで見掛けぬ制服だから、かなり遠くから転校してきたのだろうとは見当が付くが。

 

「今日からこのクラスで一緒に勉強することになりました、設楽冴《したらさえる》くんです。設楽くん、黒板に名前を書いて自己紹介をお願いします」

 橘に促され、設楽と呼ばれたその生徒は、振り返って黒板に大きく名前を書いた。

 

「設楽 冴」

 

 したら、さえる、くんかあ。

 ぼんやり眺めている妙羽の目を、再び教室内に向き直った冴の目が捉えた。

 まるで目に何かを押し込まれるように、強い視線が妙羽に突き刺さる。

 

 ……何だかはっとして、妙羽は彼を見返したが、その時すでに、彼は視線を逸らしていた。

 

「東京から来ました、設楽冴です。特技は武術全般、趣味は筋トレです。よろしくお願いします」

 低い響きの、恐ろしくマッチョな自己紹介に、教室がざわつく。

 妙羽も軽く感心した。やけに姿勢が良く筋肉質だと思ったら、武道をやってる人だったのか。

 

「席は……祝梯さんの隣しか空いてないわね。設楽くん、あそこの、髪の長い子の隣の席に」

 橘がほっそりした手で、妙羽の隣、事故で長期入院中の生徒の残した空席を示した。

 鋼のバネを感じさせる動きで、冴が妙羽の隣に歩み来る。

 

「設楽くん? 私、祝梯妙羽って言うの。よろしくね。おっきいね~~~!!」

 妙羽が、席に着く直前、立ち止まってふと妙羽を見やった冴の前に、右手を差し出した。

 なんだろう、視線が痛いような……

 

「……設楽だ。よろしく」

 冴は、恐ろしく強い力で、妙羽の繊細な手を握った。