3-1 策略

 あいつの始末は、俺自身に着けさせてくれ。

 

 分かってる。

 まだ「なりたて」の俺じゃ、色々不安もあるだろ。

 俺自身だって、そう思ってる。

 

 だけど、ここでお前らに任せてケツまくったら、俺は一生涯、自分を信用できなくなる。

 一生……どのくらいになるのか知らないが、その間ずっと、腹の底で自分自身を軽蔑しながら生きていくしかなくなるんだ。

 

 これは俺自身の、魂のある生き物としての誇りの問題だ。

 だから、頼む。

 俺にも戦わせてくれ。

 

 

 冴の目は真剣だった。

 だから。

 希亜世羅は、自分の神使となったその少年の最初の願いを、聞き届けた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

「いい加減にしてくれ!!」

 勢いよく叫んだが、棘山の声は恐怖を滲ませていた。

 人間形態になるといささか力は衰えるが、この恐怖の源はそのことではない。

 

 一体いつの間にここに戻って来たのか。

 見覚えのある古い家屋を取り囲む庭には、人間形態を取った骨蝕の姿があった。

 あの、邪神の術でとんでもない場所に飛ばされてから、どのくらい経っただろう。

 自分が日本列島東側に広がる大洋の向こうの国に飛ばされたと知った棘山は、転移術その他を駆使して、ようよう本拠に戻ってきていた。

 案の定というべきか、主であるはずの冴の姿はその場所にはなかった。

 そして、ほんの少し前まで同じ主人に仕える相棒と思っていた、式神の姿も。

 

 霊的に結びついているはずの棘山をもってしても、主である少年退魔師・設楽冴の気配を辿ることはできなかった。

 当たり前だ。

 骨蝕が、言葉巧みに冴を丸め込んで、彼を怪物に作り替えてしまったのだから。

 

 棘山も、実を言えば、丸め込まれた方だ。

 冴に施す秘術とやらが、あんな危険なものだとは知らなかった。

 どうもおかしいぞと思った時には、すでに棘山も共犯にされていた。

 骨蝕の命令に、唯々諾々と従う冴の姿に目を白黒させていると、骨蝕はほんの少し前の腰の低い態度をかなぐり捨てて、大上段な口ぶりで、棘山と、そして冴に命令したのだ。

 

 ――あの邪神を従わせにいきますよ。拒否権はない、いいね?

 

 棘山は式神だった。

 その根幹には、主従契約を結んだ冴の命令に絶対服従という術式が染み込んでいる。

 そして、当の冴自身が骨蝕に絶対服従だということは、棘山自身もまた、骨蝕に逆らうことができないということだ。

 

 下剋上を果たした式神の共犯者にまんまと仕立て上げられ、棘山は冴と共にあの邪神を襲った。

 

 返り討ちどころか蚊か何かのようの追い払われて、ようやく元の場所へ辿り着いた棘山は、正直どうしていいかもわからないままに、本拠と定めていたぼろ屋に帰り着き、冴を待った。

 あの骨蝕が行方不明だというのは、彼にとってのわずかな慰めだったのだが。

 

 しかし。

 いつの間にか、骨蝕は戻って来ていた。

 不意に、庭に出ていた棘山の前に姿を現したのだ。

 忽然と目の前に立ち塞がられて、棘山は、自分たちのような存在を怖がる人間たちがどういう気持ちであるのか、具体的に理解した。

 

「お前……なんなんだ? どういうつもりだ!?」

 棘山は激しく叫んだ。

 周囲には雑木林が広がり、数十m離れた隣家にも声は届かない。

 目の前の骨蝕のふてぶてしい微笑みが、深くなった。

「なんなんだ、とはご挨拶な。君と私の共通の『ご主人様』を待つに決まっているでしょう? それ以外に何があるんだね、相棒」

 露骨に見下す口調で、しかし言葉遣いだけは以前と変わらず丁寧に、骨蝕は口にした。

 

「……お前、本当は何者なんだ? ただの昔負けて忘れ去られていた神ではないだろうが!!」

 冷たい水のように染み込んでくる恐怖に、怒りの熱で対抗しようとするように、棘山は荒々しく叫んだ。

「あんな術は見たことがない。お前、主様を神使に作り替えたのか!? 生きたままでか!?」

 その言葉を発した時、骨蝕の笑いが深くなった。淫蕩なようにも見える、不気味な笑みだ。

「俺の知る限りあんな姿の『神使』は見たことがないぞ。お前は、一体何者だ。この大八島の神ではないな?」

 詰め寄ると、骨蝕はやれやれとでもいうように、大仰に肩をすくめた。

「どうも、この島の連中というのは、神々まで視野がこう、内向きというか狭くていけませんね。多分、説明しても君には分からないんだろうなあ」

 露骨にもてあそぶ口調で、骨蝕は元・同僚に笑顔を向けた。

「やっぱりか」

 それでも、どうにか冷静に、棘山はその言葉を分析した。

「日本の神ではない」「棘山の認識では理解できないとみなされるような存在」であると、たった今、この神は認めた。棘山の目立つ傷のある顔に、じっとり汗が滲む。

 

 何者だ。

 主は、いや、自分も含めて、何を懐に踏み込ませてしまったのだ?

 

 すいっと、骨蝕が一歩踏み出した。

 思わず、棘山は距離を取って構えた。

「もう、君だって、元には戻れないんだよ。分かっているだろう?」

 爽やかにすら思える軽やかな調子で、骨蝕は言い募った。

「君も私同様に、式神でありながら主を害した。あの邪神に、邪神なんて言葉を投げられないような、情けないお立場さ」

 やれやれと首を振る。

「分かるかな? もう、君は私同様、引き返せないんだよ。最後までやるしかない」

「最後まで、だと!? 一体これ以上」

「邪神・希亜世羅を支配する。退魔師の設楽冴は、そのためのコマとして利用し尽くす。そうでないと、どうなるか分かっているのか?」

 どうしてこんな簡単なことが分からないのか、と憐れむような口調で、骨蝕は投げかけた。

「ふざけるな。そんなこと……!!」

「最後までつっぱり通さないと。冴の加護を与えているこの島の神々に、寄ってたかって『処分』されたいのかな? そうされないためには、新たな盾を手に入れるしかない」

 突きつけられて、棘山は息を呑んだ。

 そうだ。

 自分たちは式神でありながら、その誓いを破り、主を害したことになる。

 どういうつもりであろうと、その事実は変わらない。

 つまりは、その霊的な約定を定めたこの瑞穂の国の神々に、喧嘩を売ったということをも、その事実は意味するのだ。

 

 霊的な約定は、すなわち、霊子及びその流れ霊子流を介してこの世界に支配を及ぼす神々の定めた法律のようなもの。

 神々の氏族ごとにその内容は微妙に違うが――人間に課される場合は、通常「宗教」の形を取る――いずれもそれを破ればその「その地域での支配権を保持する神々」から罰せられるという点では変わりない。

 霊子を介し、上位の神々の名にかけて誓った式神としての約定を破るのは、すなわち上位の神々を侮辱し、不服従を表明することだ。

 大罪である。

 死に値するほどの。

 

「分かるだろう? もう引き返せないんだよ。最後まで突っ走るしかない。さもなければ、存在を葬られる」

 まるで噛んで含めるかのような柔らかい調子で骨蝕は棘山を説得しにかかった。

 棘山の目が揺れ動く。

 恐怖で瞳孔が収縮していた。

 

 が。

 

「いや、最後なんてことはねえ。てめえの勝手な屁理屈に、棘山まで巻き込むな。人生が辛いからって子供を道連れにして死ぬクソ親かお前は」

 

 太い、ずしんとくる響きの声に、棘山、そして骨蝕も振り返った。

 

 光る門としかいいようのないものが、いつの間にか空間の只中にそびえていた。

 そこから踏み出した、雄々しくも異形の影に、棘山は呆気に取られて叫んだ。

 

「主……!!」