惑星クレトフォライの人類社会は、地域差はあれど、おおむね宗教的な秩序でもって保たれている。
聖地、しかも希亜世羅関連の聖地が多く存在するせいか、人々は一般的に信心深く、神々と聖職者に深い敬意を払い、そして惑星各地に点在する聖地、宗教的施設や遺構といったものをそれは大切にしてきた。
クレトフォライ人は、この惑星そのものを聖なる惑星とみなし――希亜世羅に特別視されることを考えると、決して誇大妄想ではない――その住人に相応しく、聖なるものに仕えることに、人生の意義を見出してきた。
地球の性別区分より、はるかに複雑なクレトフォライ人のタイプ区分が、さして大きな争いへと発展することが少ないのは、宗教によってタイプ間の平等が固く定められているからであろう。また、そうしたタイプ間関係の逸脱は、厳しく戒められている。
無論、中には不届き者もいない訳ではないが、おおむねクレトフォライ人は信心深く穏やかで控えめだ。
普通の場合、は。
◇ ◆ ◇
「ねーねー!! いつ出発すんの!?」
青虹色の鰭《ひれ》に似た器官を腕と腰、背中、そして耳に当たる部分に持つその若いクレトフォライ人が、希亜世羅と冴の間に割り込み、両者の腕にぶら下がった。
宝石のような大きなきらきらした青い目で、希亜世羅と冴を交互に見詰める。
希亜世羅も、そして冴も、まじまじとお互いを見つめ合って、そして溜息を落とした。
目の前にはライラック色の湖、そしてその上には能天気なラベンダー色の空が、どこまでも広がっていた。
そのクレトフォライ人タイプBの少年というか少女というか……に出会ったのは、最初の通過点と定めたボロイの宗教遺跡の側の宿場町でであった。
目を引いて、美しい若者だった。
ほっそりした薄青の肢体は光を放つようだ。
他のタイプBと同様衣服の外に出した鰭状器官は、空にかかる虹――この惑星にも、地球のそれに相当するものはある――にも似てまばゆく輝く。
夜空のように輝く大きな瞳を見れば、クレトフォライ人の美醜の感覚に疎い者でも、ああ、この子供は美しいのだな、と判別がついた。
地球で言えば、伝説の美しい水妖を思わせる見た目だからだろうか、若い地球人である冴などは、親しみすら覚えた――のだが。
「ねえ。あなた方、『巡礼者』の人たちでしょう? どこまで行くの?」
そのタイプB若者は、そんな風に話しかけてきた。
ボロイ遺跡近く、主に巡礼者のためのホテルの一角、地球のそれで言うならラウンジに当たる場所の、すみっこのテーブル。
希亜世羅を一番奥に、隣に冴、反対側に伽々羅と莉央莉恵、冴の隣に棘山。
周囲の、妖精じみた見た目のクレトフォライ人である以上、露骨に異形の一行は目立つはずであるが、そうなってはいない。
何となれば、希亜世羅が女神の力を振るって、全員に「心理的変装」を施しているからだ。
「心理的変装」というものは、地球の言葉で言うなら幻術の一種ということになろう。
対象の姿形を変えぬまま、見る者の感覚に作用して、対象が別の姿に変わったように見せる、というものだ。
要するに、女神一行は、全員ごく普通のクレトフォライ人に見えているのである。
彼らの姿は、ごった返す聖地巡礼者の群れに埋没し、全く目立たぬはず……であったのだが。
「ええ。あの……あなたは?」
莉央莉恵が、眼鏡を差し上げた。クレトフォライ人にとっては眼鏡をかけるという習慣はないので、莉央莉恵のその行動は認識されないのだが。
「もちろん!! 私も巡礼者なんだけどさぁ」
ずずずずいっ、とそのタイプBクレトフォライ人は、一行が囲んでいるテーブルに詰め寄り、ばん!! と天板に手を突いた。隣の棘山がぎょっとする勢いだ。
「あなた方、もしかして、下の階層に行ったりしない?」
勢いよくそう問われ、希亜世羅たちは顔を見合せた。
確かに。
希亜世羅の力が封じられているのは、この惑星の多層になっている大地の最下層にある場所だ。
《《厳密に言うと》》、《《この惑星の大地最下層に希亜世羅の封じられた力へと続く封印の門が存在している》》。
しかし、それを一瞬の転移能力で取りに行ったのでは封印は解けないようになっているのだ。
《《封印を解くには》》、《《この惑星の巡礼者が辿るのと同じ手段やルートで封印の門に至る必要がある》》。
棘山などは「何でそこまで七面倒くさい設定にしたんですかぁ!?」と悲鳴を上げていたが、セキュリティ的な問題だと言われれば黙るしかない。
もし、そこに至るまでに同行者の誰かが良からぬ思いを起こしたなら、必ず尻尾が出るはずだ。力の落ちた希亜世羅自身は気付かなくても、莉央莉恵や伽々羅は気付く。そして莉央莉恵や伽々羅たち自身は、希亜世羅が死ねば彼女ら自身も消えるので、反逆の意味がない。
「私も、下の階層に行かなきゃいけないんだ」
不意に切実な声で、その若いクレトフォライ人は訴えた。
「もし良かったら、同行してくれない? ほら、下の層って、危険だって――」
「姫(若)様!!!」
唐突に、意味が二重に聞こえる奇妙な叫び声が飛び込んできて、一行はその人物の背後に視線をやった。
端的に言えば、クレトフォライ人タイプAとCが、慌てたような速足でやってくる。
タイプAの方は、黒真珠のような肌に、暗い虹色の鰭か翼か判然としない器官を背中に四対持っている。目は銀色にやや紫みを含んだ独自の色合い。鰭状器官の対が平均より多いことを除けば、ごく普通のクレトフォライ人タイプAに見える。
少し遅れて走って来たタイプCは、額の真ん中に象牙にもサンゴにも似ている、角状の突起を持っていた。肌は薄紅色、背中の半ばに、地球の航空機の翼を思わせる、流線形の翼状器官が突出し、それの先端もサンゴ色に染まっている。目は濃い青紫だ。こちらも、目の色合いを除けばごく平均的な容姿と言えるだろう。
「姫(若)様、何をしておいでなのですか、見ず知らずの方々に……!!」
タイプCのクレトフォライ人が、テーブルの天板を掴み破りそうなタイプBの肩を掴んで引きはがした。
「巡礼者様方、我が主が誠に申し訳ございません。決して怪しい者ではございませんので……」
タイプAが、黒真珠色の顔を白っぽくさせながら胸に手を当て軽く腰をかがめた。地球人類の仕草や態度に翻訳するなら、真っ青になってぺこぺこするのに相当すると、すでに冴も棘山も知っている。
「見ず知らずの人じゃないもん!! 友達になったんだもん!! ねーーー!!!」
タイプBが妙に溌溂とした調子で、そう宣言した。
「ちょいと待つにゃ!! おまいさん、何ぬかしてるにゃー、友達もなにも、わたいらはおまいさんの名前も知らな……おーーーい!!!」
伽々羅がツッコミを繰り出している間に、タイプBはズケズケと彼女とテーブルの間をすり抜け、あれよと言う間に、希亜世羅と冴の間のわずかな隙間に小さな腰を押し込んで強引に座ってしまった。
「ちょ、ちょっと……!!」
莉央莉恵も呆気に取られて言葉を失う早業である。
どうもお付き二人を引き連れるやんごとなき若者らしいタイプBは、しげしげ、まじまじと、腕を絡めた希亜世羅と冴を見つめ。
肌の青みをほんのりと増した。
地球人類なら、顔を赤らめるのに相当する――と気付いた時には遅かった。
「あなた方……綺麗だね。どこの人?」
ぎゅうっとすがるように腕を絡められ、交互にうっとり見つめられて、希亜世羅、そして冴は思わず顔を見合せたのだった。
周りのクレトフォライ人からすれば、希亜世羅はタイプB、冴はタイプAに見えているはずの、その顔を。
「私、イルシャーっていうんだ」
希亜世羅の肩に頭をもたげかけ、反対側の手で冴の太ももあたりをまさぐりながら、そのタイプBの若者――イルシャーは名乗った。
「一緒に……第二階層まで行ってくれない?」
その申し出にぎょっとしたのは、希亜世羅と冴というより、イルシャーのお付きの二人だった。