ビシェイエが通されたのは、広く奥側が何段かに分けて高くなって、一番奥の玉座が最も高い場所にある、謁見室のような場所だった。
惑星リリキ付属の神界の父の宮殿にも似たような場所がある。
だが、こちらはそれらとは明らかに様式が違う。
更に優雅で深遠。
壁には移り変わる紋様が、ゆったりと映し出されている。
左右の翼型の座に座るのは、最初に応対した怜悧で森厳なる神使・莉央莉恵、そして奇妙な格好の、半ば猫に見える伽々羅だった。
その隣に、同じく見慣れぬ形式の装束の、どこかの男神らしい気配の者が座っている。顔に大きな傷があるのが、ビシェイエには何とも不気味なように見えた。
そして最も高い透明な鉱石の玉座に座しているのは、勇壮な、一目で戦闘型だと判別できるたくましい男性の神使に護られた、この宇宙を創りたもうた女神・希亜世羅である。
神の言葉でこの世の理《ことわり》を現した光の紋様を身に纏い、王冠のように輝く角を戴くその姿は、ビシェイエが今まで感じたこともない畏怖と同時に、言いようのない安堵をも感じさせた。
この方になら……
あらゆる蒙昧も理不尽も通じないであろう。
いかなる無法も退けるであろうと、絶対的に確信できる無条件の信頼感。
「さて。ビシェイエ。我が主の行く手を遮った非礼について、何か申し開きはありますか?」
力場の座から靴のかかとを鳴らしてゆっくり降りて来た神使・莉央莉恵の冷徹な声に、ビシェイエは縮み上がる想いだった。フヅニ鋼の刃を首筋に当てられた時のように戦慄が走り抜ける。
「いえ……全てはわたくしめの過ちです。深くお詫びし、我が主希亜世羅様と神使様方の御慈悲におすがりいたします」
相変わらず腕を交差させて胴体に添え、体を折り曲げるようにして、ビシェイエは恭順の意を示した。
本来、自分のような神とは言え神界で何の影響力も持てないような者が、この宇宙全てを生み出した神に目通り願うなど有り得ぬことである。
この神が惑星リリキに降臨することを知らなかった訳ではない。
だが、半信半疑だっただけだ。
だから、自分にあまり興味をもっていなさそうな父神の命令でもとりあえずは従った。
「万物の主なる神・希亜世羅様の降臨に備えて、リリキ周辺の宙域を保全せよ」
という、その命令に。
露骨に自分をリリキから追い払う方便だと、知っていながら。
「ねえ、君。さっきの様子だと、自分から勝手にああいうことをしていたんじゃないんでしょう? 誰かから言われて、見回りみたいな仕事をしてたんじゃないの? もしかして、お父さんに?」
予想よりもずっと幼く、そして親しみやすい調子で創造神・希亜世羅は尋ねてきた。
「直答とかどうとか、気にしなくていいから、ありのままを話して。君の身の上に、何があったの?」
ビシェイエははっと顔を上げ、莉央莉恵が鋭いまなざしで
「我が主の意のままになさい」
と命じるのを聞いた。
ごくっと唾を呑み込み、話し出す。
父神シシュリは自分を面白半分に生み出したものの、ビシェイエが成長して一人前のことを言い出すと、疎ましがるようになったこと。
父はリリキの神域で幅を利かせる神であり、あまり厳しいことを言える神々は多くないこと。
そのせいで、ビシェイエは孤立し、神界では疎外される存在であったこと。
このリリキ周辺の宙域の警戒は、預言として下された「創造の女神・希亜世羅が、聖なる目的のために、船に乗ってリリキに降臨する」という事態に備えるための仕事であったということ。
しかし、ビシェイエはこの骨の折れる仕事を、わずかな供とたった一隻の宇宙船でこなさなければならず、この仕打ちに悲憤し気が立っていたということ。
話すだに辛く屈辱であったが、隠すことに意味はない。
どうせ、自分がだんまりを決め込んでも、これほどの高位の存在ならアカシャ記憶を照会できるはず。
なら、自分のこの怒りを悲しみを伝えたい。
この世の全てを知る方に、この気持ちを伝えたら、何かは変わるであろうか?
「苦しんでいるのは、わたくしめばかりではございません。父は完全に法を悪用し、自分の欲望を叶える道具として使い、多くの押し潰された犠牲者を出しております……。どうか我が主よ、そのお力で、父の暴走を止めていただきたく……」
喚きだしたい思いを抑え、ビシェイエは切々と訴えた。
「……おいおい。こっちの世界じゃ、そんな羽振りのいい神様ともあろうお方が、自分の子供をそんな風に虐待すんのか!? サツバツとしてんな!!」
思わずといった風情で声を上げたのは、頬に大きな傷のある見慣れぬ神。
ビシェイエは怪訝さを覚える。
確かに彼は「こっちの世界」と口にしたが、どういうことだろう。
我が創造の女神は、異世界の神をここに連れ込んだというのだろうか?
「落ち着け、棘山。俺らの世界の神様連中でも酷いのはいくらでもいる。あまりよそ様のことを言えたもんじゃないぞ」
静かに重々しく、だがわずかな悲しみを滲ませて警告したのは、希亜世羅の脇を守るようにして立つ禍々しい神使だ。
彼はちらりとビシェイエを見やると、大きな体を屈めて希亜世羅の耳に何事か耳打ちする。彼女がうなずいた。彼女の体の周囲に展開する光の帳の範囲に包み込まれて、その神使は象徴的に彼女の手厚い庇護を体現しているかのようだった。
ビシェイエは、ふと奇妙さを覚える。
この神使で間違いない存在も、「俺らの世界」と言っただろうか?
すると、彼も、棘山と呼んだその神と同じ場所から来たのだろうか?
自分たちの知るこの宇宙より他に無数の宇宙があり、永遠なる希亜世羅はそれらを全て生み出したと神話は伝えるが、そういう「他の宇宙」のうちどれかだろうか?
「……我が主。ビシェイエの申したことに間違いはございません。アカシャ記憶の検索内容と今ほどの証言が全て一致しました」
体の周囲にアカシャ記憶からのディスプレイを展開させ、逐一チェックしていたらしい有能なる秘書神使・莉央莉恵が、主にそう告げた。
「……ちょっと待つにゃ。そんなのが法の神にゃ~~~!? 惑星リリキの社会がマジで心配にニャるんにゃけどぉ~~~!!」
伽々羅がふうーーーっと唸ると、毛を逆立てた猫の姿が見える気がした。
「……我が主。どうなさいますか? 惑星リリキに介入する以上、この問題を放ってはおけないかと」
ビシェイエ自身に振るわれた不正義は勿論、法の神が役割をまともに果たしていない以上、どんどん歪んだ法が広がっている状況ですが……と莉央莉恵が厳しい表情を見せる。
ふむ、と希亜世羅がうなずいて、すでに決めていたことのように莉央莉恵に命を下した。
「莉央莉恵。アレ、やっちゃって。監獄パッケージ。警告なしの不意討ちでいいから」
のほほんと告げられたその言葉に、我が意を得たりというように莉央莉恵は頷いた。
「承知いたしました、我が主。他の神々への説明などはいかようになさいますか?」
「うん。それだけどね……」
そこで宣言された言葉に、ビシェイエは目を見開いた。
◇ ◆ ◇
かの大いなる法の神、シシュリが輝く檻のようなものに呑み込まれ、神界からも下界からも姿を消したのは、何の前触れもない椿事であった。
その青い巨躯は光のブロックに侵食され埋められるかのように取り込まれ、手を伸ばし喚いてもすでに声は届かなかった。
幾柱もの随神の目の前で、悪法も法なりを体現したかのような神は消えた。
神界は上へ下への騒ぎになり、誰一人としてその事態を説明できなかった。
しかし、直後にリリキの神界の神々の元に、その声は響いた。
「聞け、惰弱なるリリキの神々よ。我こそは創造の女神・希亜世羅様が神使・莉央莉恵である。我が主の名の元に、シシュリを永遠の独房に収監したのはこの私の力である」
リリキの神々の頂点に立つと言われるアルイツィズはもちろん、どの神の元にもその声は届けられた。
「かくして我が女神の名の元に、我等は新たなリリキの法の神を任命する。その名は裁神ビシェイエ。以後、リリキの神界、下界の全ての法はこの者の下に置かれる。これは、我らが主・希亜世羅様のご意思である。ビシェイエに逆らう者は、希亜世羅様に逆らうと同じと心得よ」
全ての神が事態を把握しきれず目を白黒させる中。
莉央莉恵は、以前預言で下した通り、聖なる船で希亜世羅がリリキに向かっていることを告げ、迎え入れる準備をせよと命じた。
◇ ◆ ◇
「おおう……これは……大岡裁きというやつだな!!」
それなりに古くから人間社会に溶け込んでいる棘山が、今時の若い者にはあまり通じなさそうな例えを持ち出した。
リリキの神々同様、思念通話チャンネルを介しても、故郷で何が起こったのか完全には把握できていないビシェイエは目をぱちくりさせていた。
「これは……」
「あー。悪いんだけどねえ。チミのお父さんのせいで、リリキは神界も下界も荒れちゃったみたいだからねえ。息子のチミが責任を取って、リリキをまっとうな社会に立て直すよーに!!」
玉座の上からヘラッと希亜世羅が笑う。
「何か大概なことぬかすヤツがいたら、私の名前出していいからさぁ。チミみたいな正直な子なら信用できるから、大ナタ振るって世直ししてよ。できるでしょ? 裁きの神だってことは、あの冷酷なトーチャンも認めてたみたいだからねえ」
「まず手始めに、リリキに希亜世羅様を迎え入れる用意をなさって下さい」
莉央莉恵が補足説明を始める。
「預言の実現と、あなたの新たな神としての就任を同時に行えば、あなたに滅多なことを言えるものはいなくなるでしょう。後ろ盾に絶対の神・希亜世羅様がおいでになるのは明白になるのですから、集まる信任は愚かな御父上どころではなくなります」
やり手の秘書の顔で、莉央莉恵が笑う。
「……ッ、これは……なんと……お礼を申し上げればいいのか……」
あまりのことに頭はほぼ真っ白であったが、それでも礼を述べるべき状況だくらいの判断は働き、呆然とした顔のまま、ビシェイエは頭を下げた。
「にゃー。もしかしたらあんなトーチャンでも多少は悲しいかも知れないけど、神の本分を踏み外して罪もない者を虐げた時点で、このくらいのことは当然にゃー。あのトーチャン、永久に宇宙の外の監獄に詰め込まれてるにゃー」
相変わらずふにゃふにゃと、伽々羅は恐ろしいことを口にした。
「感謝なら、冴くんにしてあげて。このままじゃリリキってところがまずいだろう、何とかビシエイエの親父とやらを退位させて、こいつを後釜に据えるとかできないのかって、私に進言してくれたのは彼なんだ」
希亜世羅は、隣に立つ神使を、信頼の眼差しで見つめた。
二人の目が通い合うところを見れば、大概に鈍いビシェイエにも、特別な感情があることは分かった。
「あの……神使様、誠に……」
ビシェイエが言いかけるのを、冴は照れくさそうに遮った。
「万事上手くいくように調整したのは希亜世羅だ。それに」
「……それに?」
ビシェイエは、妙に優しい冴の目を見て不思議そうな顔をした。
「……あんた、国にいる、俺の弟になんか似てるんだよな」
その「国」がどれほど遠くにあるのか、ビシェイエには想像もつかないことだった。