「宗助さんが不審な自殺って、どういう状況だったんですか?」
ワンピースの喪服に着替えた光彩が、同じくダークスーツの喪服に着替えて、ホテルの部屋に迎えに来た玻琉に尋ねる。
央はすでにホテルのロビーで待機しているはずだ。
これから、かなり異様としか言いようのない「遺品」を光彩に手渡そうとしている一果と顔を合わさなくてはいけないのは気が重い、と光彩は嘆息する。
もっといえば、別れて何年も経っている元カレの遺族と顔を合わせるなど、どう考えても気詰まりだ。
光彩の心を空に映したかのように、空は朝から薄曇り。
玻琉は、ネクタイを直すと、かすかにため息。
「病院の屋上から、下の屋根に向かって飛び降りたんですよ」
玻琉は渋い表情だ。
伝えづらいと思っている様子が窺える。
「真下の低層階の屋根には、旗を掲揚しておくためのポールがありましてね。宗助さんの体は、それに貫かれるという無残な形だったようです。ご遺体を回収するのが、それは大変だったと」
光彩は、自分の顔が青ざめていくのを感じる。
見知った顔の中から、そんなショッキングな亡くなり方をした人間が出たのも恐ろしいし、宗助がそんな無残な自殺方法を選ぶほど、精神が蝕まれていたというのも驚く。
と、玻琉が形の良い顎をつまんで、何か思い返す様子だ。
「ですがね、警察が関心を寄せたくらいですから、その自殺って不審なんですよ。そもそも、あのH病院って、患者は屋上に出入りできないようになってるそうです」
光彩は、え、と小さな声を上げる。
どういうことだろう。
「……患者が使用できるエレベーターや階段では、屋上に通じる場所まで行けないようになっているそうです。屋上の扉は常時施錠され、そのカードキーは厳重に管理されていて、簡単には持ち出せないし、持ち出した場合は記録に残ります」
出入りするのは空調装置のメンテナンスをする一部の業者くらいで、一番最近の出入りの記録は、五月だそうです。
玻琉は淡々と事実を述べる。
これは央が調べ上げて来た情報だ。
秘神の末裔の特殊能力を駆使した情報収集に、間違いはない。
「しかし、決して出入りできないはずの中江宗助さんは、実際に屋上に上り、そこから飛び降りたのです。説明がつかない事態です」
光彩は目を瞬かせる。
「……誰かが、宗助さんを屋上に連れて行ったということなんですか? 職員の誰かが?」
玻琉はうなずく。
「それが最も矛盾のない説明ですね。屋上の出入り記録の一部が、消された痕跡があったそうです。誰かが宗助さんを屋上に連れて行って突き落とし、直後に屋上の出入り記録も消したとしか思えない」
光彩は視線をさまよわせ、玻琉に救いを求めるように。
「あの、山で亡くなってた人……?」
「今のところ、城戸が一番怪しいですが、彼もまた不審な死を遂げている。まだ何者かが背後にいる可能性が大です」
玻琉はきっぱり告げる。
光彩はますます青ざめる。
「何で、宗助さんてそんなことに巻き込まれたんですか? 誰の恨みを買ってたの……?」
不意に、玻琉がじっと光彩を見据える。
「中江さんは、餌だったのかも知れません。塩野谷さん、あなたをおびき寄せるための」
光彩は跳ねるように顔を上げる。
「わたし……? 私をおびき寄せるために宗助さんは殺された……?」
「鍵体質は、そうまでしても手に入れる価値がありますからね。背後に『教団』の人間がいたとするなら、人間の一人や二人、犠牲にするのは朝飯前です。奴らの教義によると、自分の欲得のために、誰か生贄となる者を確保しろとのことですのでね」
むしろ、無辜の人間を犠牲にして鍵体質の人間を確保できるなら、奴らの教義に沿った「善行」ですからね。
躊躇しないと思いますよ。
玻琉は淡々と告げ、ふと光彩を見据える。
「塩野谷さん。ご自分のせいだと思い込まないでくださいね。全ては奴らの邪悪な教義が原因にあるんです。犠牲者が自分に責任があるなどと思い込むのは、奴らを利する行為です。決してその考えには従わないでください」
光彩はうなずく。
その「贄の教団」が、自分を狙っているという事実が、冷たい水が足元に満ちるように迫って来る。
「大丈夫です。俺と央とで、何とかします」
肩を叩かれ、光彩はじんわり、涙がにじむのを感じる。
この人なら、何とかしてくれる。
そう、信じることができるのだ。
◇ ◆ ◇
その斎場は、大きな国道沿いにある、地方都市にしては規模の大きなものである。
グレーの外壁の、二階建て。
本日は敷地を取り囲む外壁に、いくつもの花輪が立てられている。
「石飛さんて、凄い力を持っておられますね」
歩道から、玻琉と並んで敷地に入った光彩は、今の今世話になった央の能力に舌を巻く。
石、鉱物質のものを「門」にして長距離を移動できるという彼の能力で、光彩と玻琉は、ホテルに敷地の一角から、斎場から少しだけ離れた、古びた石碑に瞬間移動する。
地域の偉人の屋敷跡だということを記したその石碑の周辺に人気(ひとけ)はなく、玻琉と光彩は、央に見送られて、安全に斎場へと向かう。
「通常の乗り物に乗っての移動ですと、この場合、途中で『教団』に攻撃される可能性がありますからね。央がいてくれて良かったですよ」
玻琉は、光彩と並んで駐車場を横切り、斎場の正面玄関へ。
「……ここからは、彼氏彼女の演技をしましょう。光彩さんを呼び捨てにしますから、塩野谷さんも俺を『玻琉』と」
「わかりました」
何だかこっぱずかしく思いつつ、光彩はなるべく親し気に見えるように、玻琉に寄り添う。
斎場の受付で、名前を書き香典を差し出す。
ホールに入ろうとしたところで。
「あれ、あなたが、中江くんの彼女さんですか?」
小太りの年配男性に話しかけられ、光彩は足を止める。
玻琉も振り返る。
「えっ……いえ、あの、私はもう……」
「こんなことになってしまって。さぞやショックでしょう。遠距離恋愛だったのにねえ」
涙を流さんばかりの年配男性にいきなり訳の分からない思い込みを押し付けられ、光彩は目を白黒させるばかりだ。
この人は誰だ。
何で、私と宗助さんが、遠距離恋愛なんかしていることになっていたのだ。
「あの、違います……」
「違いますよ。中江宗助さんと、うちの光彩はとっくに別れていて、今の彼氏は俺です」
ねっとり決めつける年配男性の妙な空気と言葉をぶったぎるように、玻琉が割り込んでくる。
「俺は光彩の彼氏で、村雲玻琉と申しますが、あなたはどちら様ですか? なんでうちの光彩にそんな決めつけを?」
玻琉が迫ると、その年配男性はぞっとするくらいに不自然な笑顔を見せる。
「私はねえ、中江くんの主治医で、砂原(すなはら)という者なんですよぉ。中江くんも可哀想に。最近具合悪かったのに、二股かけられてたらねえ」
光彩はそのあまりに一方的な言い草にぞっとする。
何でこの人は、こんな思い込みで決めつけてくるのだろう?
宗助の主治医ということは精神科医のはずだが、どう考えても、この人物は診察される側であろう。
「砂原先生?」
ふと、砂原医師の背後から、これも年配の、白髪頭が目立つ人物に声をかけられ、光彩も玻琉も顔を上げる。
一瞬、ホームレスかと思うような年配男性である。
喪服のスーツは着ているので、辛うじて体裁は保っているが、何せ、身だしなみが全体的にいい加減で、どうにも汚らしく見える。
「ああ、綿部(わたべ)理事。こちらが、例の、中江くんの……」
「ああ」
まだ言う砂原の言葉に、綿部と呼ばれた男は、じろりと横柄に光彩と玻琉を睨む。
「いやあ、困ってるんですよ。中江くんが飛び降りたせいで、病院の設備がかなり破損してしまって。あなたにも、責任の一端はあるんですよね」
綿部は地元のなまりの強い口調で喚く。
「少し、弁償など検討を……」
「光彩は、もう何年も中江さんとは接触がありません。今回の中江さんの自殺に、光彩は関係ありませんよ」
玻琉は、ポケットから名刺を取り出す。
「私は、常世田製薬の役員の、村雲翔真の息子で、村雲玻琉と申します。そういうお話でしたら、私が聞きますし、出るところにも出ますよ」
名刺を受け取った綿部と、覗き込んだ砂原の顔がみるみる青ざめる。
あまりにわかりやすい「権力への従順」に、光彩は狐につままれた顔をするしかない。
「こ、これは失礼しました、いや、決して常世田製薬の方にそんなことは」
「あ、それでは失礼して……」
綿部と砂原が、逃げるように立ち去る。
あの粘着と横柄が子犬のように怯えた様子に、光彩は呆気に取られていたが。
「大丈夫か? 気にするなよ、光彩」
もう大丈夫だから、と玻琉に囁かれ、光彩はほうっと大きく息をつく。
「ありがとう……玻琉」
狂った世界の中で、この人はまともだ。
助けてもらえて本当に幸運だったと、光彩は玻琉と運命の神という存在に感謝する。
「さて、まだ、あの曲者妹がいるな」
玻琉がことさらおどけた口調で呟き、ホールの扉をくぐる。
と。
「ねえ、どうしよう!!」
いきなり、喪服姿の一果が、光彩を見るなり飛びついて来る。
「え……あ、あの……?」
何があったかわからない。
さしもの玻琉ともども唖然としている光彩に、一果が叫ぶ。
「兄さんの遺品が!! なくなったの!! どこにもないのよ、どうしよう!!!」