「……これ、結局何だったんですか? 中に何が入っているの……?」
落ち葉と下生えに覆われた、山の斜面の一角、開けた場所にそっと置かれたそのダンボール箱を、光彩は気味が悪そうに見やる。
ミカン箱ほどの無地の段ボール箱。
開け口は、布製のしっかりしたガムテープで封がしてある。
昼前。
あの葬儀をどうにか終えて、さっさとホテルの部屋に戻った光彩が、薄手のカーディガンとカットソー、キュロットスカートに黒のストッキング、スニーカーに着替えた途端に、玻琉と央に、山の中に連れていかれたのだ。
央は、段ボール箱を抱えていたのである。
「俺は鉱物質のもののあるところになら、どこにでも移動できる。コンクリートも鉱物。砂が原料だからねー。で、あの錯乱してる一果って子の目を盗んで、この『遺品』をかっぱらったって訳だよ」
柄シャツを羽織ったTシャツジーンズブーツで、あっさり種明かしする央に、光彩は呆れるやら感心するやらだったが、しかし、肝心なのは、その「遺品」そのもの。
「あの、一果という人物が、葬儀場で喚いていた内容を覚えていますか? 宗助さんが、光彩さんへの思いのたけを書き記した日記やら手紙やらだと。彼女は、城戸にそう言い含められて、この荷物を押し付けられたのですね」
スーツ姿の玻琉は淡々と、そのミカン箱ほどの大きさの段ボールを見据える。
真上に近い角度から差し込む日差しは、枝葉の影を含んでもくっきりしている。
が、何かその段ボールが動いたように見えたのは、気のせいだろうか?
玻琉は更に続ける。
「しかし、この段ボールに入っているものは、そんな人間並みの不気味なものではない。もっと直接的な意味で始末に負えないものだ。持てばわかりますが、この中にあるのは、紙の束なんかじゃありませんよ。重さだけなら、現時点ではぎっちりの紙束よりも軽い」
光彩は怪訝そうに玻琉を振り返る。
酷くひっかかる言い草である。
どういう意味だろう?
「あの、それ……」
言いかけて、光彩はぎくりとする。
がたり、と音がしたのだ。
あの段ボール箱が、誰も手を触れていないのに動いたのである。
中に、何か生き物でも入っているように。
「……あなたに受け取らせたいものがあるという話になった時点から、何となく悪い予感はしていました。今は断言できますが、中身は間違いなく、モノの卵だ」
玻琉が鋭い視線を段ボールに向けている。
光彩は意味が取れない。
「モノの卵……って」
「塩野谷さんを最初に付け回していたような生き物の卵ですよ。技術があれば、モノは人工的に作ることができ、卵の形で、どこかに仕込んで、特定のタイミングで孵化するように調整することも可能だ」
がたん。
がたがたがた。
段ボール箱が、押し込められた何かが暴れてでもいるかのように転げ回る。
いや、「いるかのように」ではなかろう。
明らかに生き物が箱の中にいる。
「塩野谷さん」
玻琉が、静かに、だが強い声で言い渡す。
「そこの、岩の陰に隠れていてください。私がいいと言うまで出てこないように」
光彩は言われるまでもなく、恐怖に追い立てられるように、人間より少し大きいくらいの茶色い岩の陰に飛び込む。
◇ ◆ ◇
「さあて、キタねえー」
央が、ニヤニヤ不敵な笑いを浮かべる。
下生えを踏みしめて、転げ回る段ボール箱を眺め、今しも攻撃に移れそうな態勢。
「かなり念入りに作ったようだな。邪気がとんでもない」
玻琉が言うなり、一瞬でその体が裏返るように変化する。
そこにいたのは、あの半ば機械にも似た幻獣。
「常世ヌエ」の、あの姿の玻琉である。
サソリのように、彼は弾丸を射出する長い尾を振り立てる。
段ボール箱が、ついに破れる。
どこに、そんなものが入っていたのか。
姿を現したのは、巨大な軟体動物にも似た「モノ」である。
長くて太い、人間の胴体よりも巨大な全身は、おおよそ芋虫のような形である。
ぬるりとした藍色とピンクと黄色の波模様、ところどころに銀色に輝く斑点がけばけばしい。
全身から、炎にも似たうねくる触手がびっしりと生え、それはまるでゴムのように自在に伸びている。
先端に、目まぐるしく姿を変える、鈎爪なのか針なのか、尖った器官が付属している。
もたげている部分が頭部なのだろうが、顔らしきものは一切見当たらない。
びっしりと触手が生えているだけ。
「さて、攻撃力は高そうだぞ……っと」
央が口にするなり、そのモノの周囲を取り囲むように、人間より大きな白っぽい岩が、地面からそそり立ったのだ。
白い水しぶきを表現しているかのように、すがすがしい色合いの美しい岩が、その毒々しいモノの気配を中和するかのよう。
同時に、玻琉が、その岩の一つの背後に隠れるように、前足を掛けて飛翔する。
空中で、尻尾の機関砲から、輝く弾丸を無数に降らせる。
弾丸は、凄まじい勢いで、触手を削り落とし、モノの巨大な胴体を穿っていく。
と。
モノが、消える。
いや、まるで命を失ったかのように、地面に極彩色の水たまりとなって広がったのだ。
「え、やった!? これで終わり!?」
央が、岩の一つから顔を出す。
「まだだ、油断するな!!」
幻獣の顔から、玻琉の声が響く。
同時に、極彩色の水たまりが、いきなり命を取り戻したかのように、ぐいっと伸び上がる。
再び起き上がったそれは、今までのように、一部の隙もなく生えた触手を取り戻している。
「あっ、再生すんのか!!」
央が叫ぶ。
「何かしらの有機物を取り込めば再生できるのだろうな。奴の足元を見ろ」
玻琉が指摘する。
ふとその視線を追った央は、モノの真下、地面が大きくえぐれているのに気付く。
山の土、生き物の死骸も含んだ腐葉土をごっそり取り込み、モノは再生したのだ。
モノが、ざわめく。
触手をざわめかせ、まるで人の声のような音を出す。
触手の先端が管状に尖る。
それが何十何百と、空中の玻琉を向く。
轟音。
まるで先ほどの意趣返しのように、モノの触手の先端から、輝くビームのようなものが無数に射出され、玻琉の肉体ごと、山の稜線の上に広がる空を貫く。
街からその山を見上げた者があれば、まるでまとめて極太の光線のように見えるそれが、山肌から空へ一直線に昇るのが見えただろう。
「先輩!?」
央の声が悲痛に響く。
今までいたところに、玻琉の姿はない。
光と共に消えたのだ。
「先輩!! 先輩!! ちょ……っと」
モノが央が隠れている岩の方に、ぐるりと振り向く。
まるでなめくじが方向転換するかのように、長い胴体をうねらせて、央に突進してくるのだ。
「ナメんなよ!!」
央が叫ぶや否や、そのモノの体が、白っぽく固まる。
いや、ものの例えではない。
まるで、軟体組織がにわかに骨細胞にでも変換されたかのように、先端から、乾いた白い組織が、凶暴な軟体を浸蝕する。
それは、さながら伝説のメデューサの視線のように。
数瞬ののち、モノは、ほぼ白い骨を組み合わせた彫刻のような何かに変化し、そこにうずくまっているだけとなる。
「央!!」
声は、太陽の輝く真上から聞こえたのだ。
玻琉のあの凶暴にして美しい幻獣の姿が、舞い降りてくる。
彼の尻尾の機関砲が火を噴く。
乾いた脆い骨へと変化していたモノは、焼き菓子か何かであったように、一瞬で粉々に崩れ去る。
地面に白い破片が山になる。
「央!! 空間を塞げ!!」
「はいー」
軽い返事より先に、骨片の上に、輝く小型の太陽のような球体が出現する。
何か薄青いガラスにも似た障壁が、等間隔に並べられた岩に沿って発生する。
モノの残骸と、小型の太陽が、そのドーム状の空間に取り残される。
激しい輝き。
爆発にも似るが、音は低かったのだ。
「おおう、きれいさっぱり」
央が評したように。
そこには、クレーター上の溶けた穴の他には、何もなかったのだ。
◇ ◆ ◇
何が、起こっているのだろう?
光彩は、激しい閃光が飛び交う、岩の向こうの光景を、覗き見る勇気がない。
あれは何なんだろう?
村雲さんと石飛さんは「モノの卵」と言っていた。
何かが孵り、二人に襲い掛かったのだ。
あれは、私に押し付けられる予定だったもの。
何も知らずに一果さんから受け取っていたら、自分はあれに食われていたのか。
一体どこに収まっていたのか、物音や気配、差し込む影からすると、かなり巨大なものとしか思えない。
自分は本当に命拾いしたのだ。
大きく息を吐いた光彩の肩に、何かが触れる。
人の指?
「鍵体質さん、鍵体質さん、びっくりですねえ」
聞き覚えのある声に振り向く。
そこにいたのは、あの不自然な笑みを張り付けた、中江宗助の主治医。
砂原である。
「ようやく捕まえましたよぉ、鍵体質さん。私が目を付けたのに、何で勝手によその人なんか呼ぶンデスカァ?」
声は、途中から人間のものではなくなる。
はりつけたような肉厚の笑顔が、いきなり縦に割れる。
あの喪服のままの砂原の全身が、別の生き物に侵蝕されたかのように、巨大な牙の生えた「口そのもの」に変化していく。
光彩は咄嗟に悟る。
黒幕は、こいつだったのだ。
「鍵体質カギ体質カギタイシツカギタイシツゥ」
巨大な口と化した砂原が覆いかぶさろうとした時。
光彩の中の、どこか遠い場所から、鈴の音が響いた気がする。
光彩の前の空間に、輝く光の幕が展開する。
そこから、まるで雲のような色合いの、狼にも似た巨大な生き物が数匹、砂原に殺到する。
砂原は牙の波以前に、狼たちがまとった神聖な輝きに弾き飛ばされるように、光彩から引き離される。
連れていかれた先は。
ぞっとする音が、耳に触れる。
光彩は、はっと顔を上げる。
あの化け物の砂原の体を、巨大な爪が貫いていたのだ。
あでやかな幻獣、あの禍々しいまでに美しい玻琉が、突き出した前肢の剣のような爪で、砂原にとどめを刺している。
「村雲、さん……」
「失礼。鍵体質には完全に目覚められたみたいですね」
光彩は、どういう意味かは判断できなかったが、もう安全なのだということは、はっきりと理解したのだった。