2 吸血娘vs.死剣士

「……去(い)ね。私が用があるのはお前ではない」

 

 攻撃されたことも意に介していないかのように、死剣士は肩に太刀を担いで、そのまま前に進もうとした。

 黒々とした黒曜石のような目は、闖入者の吸血鬼を映してもいない。

 

「まあ、お待ちなさいな。あんなフツーの子に構うよりも、もっと面白いことがあるのよ」

 

 吸血鬼と呼ばれた娘は、緋色のコウモリの翼をマントのように広げ、まるで誰かと踊っているかのように、くるくると路地の上で嬉し気に回り始めた。

 

「あなたにいい話を持ってきたの。あなたのことは聞いてるわ。従兄弟や伯母からね」

 

 訊かれてもいないのに、悪魔めいた吸血娘は、そんな事情を説明し始める。

 

 一方、死剣士はまさに聞いていないらしく、そのまま前に進もうとした。

 が。

 その体が、何かに押し返された。

 死剣士の大きい目が、すうっと細まる。

 まるで見えない壁がそこにあるかのように、なんらかの妖力で、彼女の歩みが押し留められたのだ。

 いや、「まるで見えない壁があるように」ではなく、本当に「妖力でできた見えない壁」がそこにある。

 

「まず、あたしのことを聞いて。あたしは、フランスの吸血鬼の一族に連なる者よ。ただし、母は旧き精霊のヴィーヴルなの。だから、こういう見た目なのよ、割と気に入っているわ」

 

 そう言って、吸血娘は、自分の悪魔めいた角に触れ、コウモリの翼を軽く開いて見せた。

 額の中央の、輝く緋色の宝石が見える。

 路地に差し込む薄い光で、鮮やかな金髪が王冠のように輝いた。

 

「名前はリュシエンヌ。そう呼んでほしいわ」

 

 そこで、ようやく死剣士は吸血娘リュシエンヌに対して向き直った。

 静かな目を、彼女に注ぐ。

 

「……そのリュシエンヌが、私になんの用だ?」

 

「あなたのことは聞いてるわ。陵(みさざき)。黄泉の女神に仕えるヨモツシコメ。でもね、ちょっとそのあたりのことについて考えてみて欲しいのよ」

 

 どうも、吸血娘のリュシエンヌは、死剣士の陵のことについて、かなりの情報を得ているようだ。

 

「あなたは、あんな弱い一般人を追い回す人生で、本当に……」

 

 満足しているの、とリュシエンヌは言いたかったのだろう。

 だが、その前に太刀が一閃していた。

 見えない妖力の壁が、硝子が砕けるようにばらばらと崩れ去る。

 さしものリュシエンヌも一瞬言葉を失った。

 

「弱い一般人、か。それが厄介なことも多々あるのだ。お前には、わからぬだろうが」

 

 消え去った障壁を悠々踏み越えて、陵はそのまま路地を抜けようとした。

 

「待ってってば!!」

 

 リュシエンヌが小さく何事か唱えた。

 ふと、陵が自分の動かなくなった足を見る。

 どういう訳か、華美な袴に包まれた陵の両足が、袴ごと石に変化しつつあった。

 毛細管効果で吸い上げられる水のように、石化はあっという間に進み……

 

 短い気合と共に、陵は太刀を振るった。

 いくら長大な太刀でも、無理な姿勢、それにこの距離ではリュシエンヌに届かないはずだったが。

 

「きゃあ!? ちょっと酷いじゃない!?」

 

 どういう訳だか、空間そのものを切り裂いて、陵の斬撃はリュシエンヌに到達していた。

 マントのような翼が切り裂かれて、血がしぶく。

 いつの間にか、陵を襲っていた石化効果は消えうせている。

 

 ひゅん、と、陵が再び太刀を振るった。

 咄嗟に魔法で上空に逃れたリュシエンヌの下で、雑居ビルの壁に嘘みたいに綺麗な亀裂が入った。

 

「出鱈目ね。正面からやり合ったら無理かも」

 

 リュシエンヌは、吸血鬼の父から受け継いだ、昏睡に誘う危険な眠りの魔法を浴びせようとしたが、陵の太刀の方が速かった。

 真っ二つに切り裂かれそうになるのを、魔法でどうにかいなす。

 

「そう、残念ね。やり方を変えるわ!!」

 

 リュシエンヌはそのまま、空気に溶け込むように消えうせた。

 

 気配をうかがい、彼女が完全にこの場から去ったと確信してから。

 陵は、悠然と、以前の歩みを再開したのだった。

 

 獲物に忍び寄る、死神の歩みを。