吸血鬼と常世虫

「剛さん!! 駄目ですよ!! ここの森はダメだって!!!」

 

「剛さん、ここに住んでいる奴は、真面目にヤバイんですよ!!」

 

 鴉天狗の若者と、ぶちの猫耳をつけた猫又の若い娘が、剛を引っ張る。

 綾野剛は目の前のこんもりした深い森を見据える。

 色白の、端正で、凄艶ですらある面差しに姿。

 そこは、市街地をさほど離れていないにも関わらず、一気に人気(ひとけ)のなくなるあたり。

 高級なスーツに身を包んだ剛のいでたちは、なるほど確かにこんな鬱蒼とした森を探索するのには向いていない。

 しかし、仲間たちが彼を引き留めるのには、明らかに他の理由がありそうである。

 

「常世虫(とこよのむし)ね。かつては神に数えられた偉大な種族。その生き残り」

 

 深い響きの耳に快い声で、そのダークスーツに長身を包んだ美形の吸血鬼はにやりと笑う。

 かすかにまくり上げられた端正な唇の間から、ちらりと覗く、吸血鬼の牙。

 彼は死の神にも匹敵するという噂の、日本産吸血鬼なのだ。

 色素の薄い瞳が、月のような銀色に一瞬底光りする。

 

「彼女は長くこの森に住んでいる。何か知っているなら彼女だ」

 

 日本産吸血鬼の剛は、仲間たちの制止を振り切り、分厚い下生えを踏み分けて森へと分け入る。

 

 

◇ ◆ ◇

 

 話は年の暮れも押し迫ったある日に遡る。

 

 それが「出た」のだ。

 

「それ」が一体何だか、誰にも説明は付けられない。

 なにせ見たこともない奇妙な生き物だ。

 そう、生き物なのか。

 古い時代のからくり人形似ているせいか、自律して動いている。

 動くだけならまだしも。

 そいつらは人を襲うのだ。

 目的は不明。

 

「ふむ、なかなか多い」

 

 吸血鬼の剛は、愛用の「闇銃」を構えて、「それ」を狙い撃つ。

 武器というより芸術作品のような見た目の闇銃は、鋭い発射音と共に、人間には完全には解明できない闇のエネルギーを凝集した弾丸をそいつにぶち込む。

 巨大な木目のワニの細工物に、あちこち花が咲いたような奇態な見た目の生き物は、闇の弾丸で打ち抜かれて一瞬で上半身を破裂させる。

 

 無数の足で体を支えながら胴体半ばまで口があるトカゲみたいな細工もの、巨大な木製に胡粉塗りの人形に触手が生えたようなもの……

 それらを、剛は確実にぶち抜いて行く。

 

「ええい、面倒だ。そろそろ引っ込んでくれないかな」

 

 不思議な色に底光りする目で、怪物の群れを睨んだ途端、数十体群れていたそいつらは、一気にまるで瞬時に朽ちたかのように粉みじんに崩れ去ってしまう。

 

「たいしょー!! ご無事ですかあ!!」

 

「ボス!!」

 

 巨大なぶち猫形態になった猫又と、鴉天狗形態のままの若者が飛んでくる。

 

「俺は無事だけど、俺や、君たちだけが無事でも問題は解決しないな。人間には脅威なんてものじゃない。飢えたヒグマに襲われるよりたちが悪い。さて……」

 

 剛は街並みの向こうに視線を送る。

 この街の外れには、不思議な伝承のある深い森が広がる。

 そこに解決の糸口があるはずだ。

 

 

◇ ◆ ◇

 

「あれ、お兄さん。今の言葉で言うなら、吸血鬼の人? 珍しいねえ、こんなところに」

 

 不意に頭上から声をかけられて、剛は足を止める。

 吸血鬼の不思議な力で、下生えは大人しく平べったくなっているのだが、周囲の鬱蒼とした大木はそのままである。

 そのケヤキの木の一番下の枝に、誰かがいたのだ。

 

 色白で、愛らしい端正で気品ある目鼻立ち。

 白椿を思わせるどこかしら高貴な。

 つやつやした黒髪を長めのショートにまとめ、古い時代の貴婦人みたいな、華やかな袴に、黄色の蝶の模様の小袖を纏っている。

 珍しいには、その背中から、身体を覆うような大きなアゲハ蝶の翅が広がっていることだ。

 薄暗い森の中できらきら光る。

 彼女の美貌と合わせて、夢の中のような光景である。

 

「これは失礼。人を探していましてね」

 

 常世虫という種族の方を見かけませんでしたか?

 

 剛が答えを予想しつつも、そんな風に口にすると、その娘は声を上げて笑う。

 

「私がこの森に住んでいる常世虫。名前は由衣。人間の中に出る時は佐久間由衣って名乗ってるんだけど、吸血鬼のお兄さんはなんていう人?」

 

「剛っていいます。人間の姿を取る時の名前は、綾野剛」

 

 剛が名乗ると、由衣はくすくす笑う。

 

「知ってる!! この前都心に出た時には、テレビに映ってるのを見たよ」

 

 剛は気安い雰囲気の彼女につられてふっと笑う。

 

「今はちょっと別なこともしてる。この事態を収めたい。外で何が起こっているかは知っているかな?」

 

 由衣はふうっと溜息。

 

「誰かが『妖願居士(ようがんこじ)の塚』を暴いたんだ。あなたみたいな強力な人外でも面倒でしょ? 部外者が手を出すのは余計邪魔かと思って引っ込んでたんだけど、良かったら手伝う?」

 

 剛の目が底光り。

 

「やはり何が起こっているか知っているのか。妖願居士というのは?」

 

「戦国時代くらいの人だよ。妖術を研究するあまり、外法に手を染めてしまったような人。普通のやり方じゃ死ねなくなったから、封印されていたはず。誰かが封印を解いたんだね。もう少し西に行った神社の境内に封印石があったはずなんだけど」

 

 でも、と由衣が付け加える。

 

「封印を解かれたんだから、そこにはもういない。私、昨日確認してきたんだけど、本人はとっくにいなかったよ」

 

 剛は、長い指で手招き。

 

「降りてきてくれない?」

 

「いいよ。これじゃ失礼だったね」

 

 ふわりと、いい匂いをさせて由衣が降りてくる。

 空中で、翅を広げて優雅に静止。

 

「俺を手伝ってほしい。妖願居士という奴のことは感知できるっていうことかな?」

 

「私、奴を封印した一人だもの」

 

 剛の問いかけに、由衣はあっさり返す。

 

「協力して欲しい。このままじゃ世界が滅びる」

 

「もちろん。一度封印したんだもの、何度でも同じ」

 

 それに、と由衣が付け加える。

 

「剛さんのこともっとよく知りたいな。これが終わったら、ちょっと付き合ってくれる?」

 

 剛はおや、という顔をしたが、すぐ破顔する。

 

「喜んで」