今日こそは切り出そう。
私は、私をダイモンの家に連れて行ってくれる彼の車の中で、そう決意した。
故郷の日本とは、空間の取り方の明らかに違う広々した通り。
夜闇を照らす街灯が、周囲の家の庭木を、巨人の影のように照らし出している。
治安の良いこのアーリントン近辺の夜は明るいが、それでも夜は夜。
様々なものを、覆い隠しているのだろう。
例えば。
ダイモンの本心、とか。
◇ ◆ ◇
私が「九良賀野佳波(くらがのかなみ)」から「ディアナ・クラガノ」こと「D9(ディーナイン)」になってから、二か月近くが過ぎた。
最初は、アメリカ軍の特務部隊に、私が国籍を変えてまで編入されるだなんて、思いもしなかった。
神魔だけで構成された、神魔関連の事件に対応する特務部隊が米軍の中にあるなんて、まるでマンガの中の話みたいだ。
しかも、自分もまた「神魔」の一柱として、そこに編入されたのだ。
「九頭龍」。
九つの頭を持つ、虹色の巨龍。
それは旧い由来の「創世の龍」というのが、私の正体だったらしい。
その力を求めて、ダイモンはじめ仲間たちが日本まで私をスカウトにきた。
ダイモンの正体は、メソポタミアの風の魔神パズズ。
彼と恋人同士になるのに時間はかからなかった。
そもそも、彼は「創世の龍」の一柱であるシュメールのティアマトから生まれた存在であり、元々が私と近かった。
私という「九頭龍の末裔」が存在していることを知った時、彼が最初に感じた感情は、「驚き」よりも「懐かしさ」らしかった。
彼が私に求めているのは――懐かしさからの安心感、だろうか。
私は、お風呂から上がり、彼の部屋に入った。
広い、二間続きの部屋だ。
多分レプリカだろうが、部屋のところどころにメソポタミア由来の骨董品が置いてあるのが、彼らしいところだ。
砂漠の砂のような鈍い「赤」が使われているのが、彼のイメージに合う。
彼がいた、砂漠と沼沢と大河の土地。
そこで彼と一緒にいたのは。
「ディアナ、その新しいパジャマ可愛いな」
自身も部屋着に着替えたダイモンが、私のオフショルダーの上着とホットパンツの寝間着をほめてくれる。
いつもなら、彼のためにすぐ脱ぐことになるのだけど。
今は、そうはいかない。
彼の部屋の姿見の中の私は、虹色の髪の毛や虹彩の色合いが、やや淡くなりすぎているようにも見えた。
だが、それは私の心理的なもので、ダイモンの目にはいつものように、大粒のダイヤモンドのきらめきに見えるのだろう。
上機嫌に、手を伸ばしてくる。
「ねえ、ダイモン」
私は、彼が腰かけているソファの隣に座った。
じっと彼の目を見詰めると、彼はすぐ異変に気付いたようだった。
「どうした? 今日は……なんだかそわそわしてるな?」
そう指摘され、私は彼の鬼火のような紫色の目を覗き込んだ。
あかがね色の髪はゆるくうねり、地中海性の肌に映える紫の目は吸い込まれるよう。
すらりと伸びた手足は、ブロンズの彫刻のように芸術的だ。
蠱惑的で神秘的、それがダイモン。
「前からね、訊かないとって、思ってたことがあって」
私は、思い切ってその一言を紡ぎ出した。
思い詰めた響きと表情が気になったのだろう、ダイモンが怪訝そうに目を細めた。
「ディアナ……?」
ダイモンは二人きりの時は、この名前で呼んでくれる。
でも、今は、なんだかそれが妙に切なかった。
「ダイモンってさ……本当は、結婚してる、よね?」
ついに、口にした、その一言。
そう、彼が「パズズ」の名前で呼ばれるアッカドの神話によると、彼には、「ラマシュトゥ」と呼ばれる、配偶神がいるはずだ。
「ああ……ああ、そりゃ、まあ、俺だって一万年以上生きてるんだ、最後に正式に結婚したのは、何百年か前……」
急に何を言うんだ、という顔で、彼は説明を始めた。
多分、私の気分を害さないように過去の女性関係は口にしない方針だったのだろう。
付き合い始めてすぐわかったけど、私が訊きたいのは、彼が返答したことではない。
「人間の、奥さんとかじゃなくて……神魔の。ラマシュトゥさんて、まだ、ご存命なんでしょ? だって、神話に」
ラマシュトゥ。
アッカド神話の悪魔的な女神。
二匹の犬と二匹の蛇を従え、ライオンの頭にロバの歯を持ち、全人類に病気をもたらす病魔の女王である。
新生児や妊婦、分娩中の女性を、よく標的にするという。
なんだか、禍々しくてかっこいい。
「ああ……ああっ、そういうことか。それが気になってたんだな? すまない」
ようやく得心がいったという顔で、彼は天を仰いだ。
「人間だった頃からオカルトマニアだった君なら、アッカドの神話も知ってるよな……そうだとは思ったけど、そこを気にしてたのか。悪い、別にごまかすつもりじゃなくて、説明するまでもないことだと思ったんだ」
「やっぱり……」
私の恋というのは、日本でいうところのいわゆる不倫というやつか。
自己嫌悪の苦い味がこみ上げる。
そんないやらしいことしたくないと思ってたのに。
「ああ、いや、待ってくれ。ラマシュトゥのことは覚えてはいるが、最後に会ったのはもう三千年以上前だ。俺が、自分の意思で、あいつをいわゆる冥界に追っ払った。これで、婚姻が継続してるって、思うか?」
現在の人間の基準で言うなら、DVの応酬の後で喧嘩別れ。
あいつはさっさと俺を忘れて、冥界でお楽しみ。
ひでぇもんだ。
俺はもう、とっくの昔に、ラマシュトゥを妻だなんて思ってねえよ。
やれやれと息を吐きだしたダイモンを私はまじまじと見つめた。
「……そうなの?」
「ああ。あいつと別れて以降、信仰も薄れてから、俺は世界中をさまよったがね。まあ、その中で婚姻関係か、それに準じる関係になった相手はそれなりにいる。だけどな」
ダイモンは、再度盛大に溜息を落とした。
「だけど、それはぜーーーんぶ、一つ残らず、過去の話だ。思い出はいつだって美しい。でも、それは、結局過去に閉じ込められているんだ」
ダイモンは、私を真正面から覗き込んだ。
「俺が、今、現在を共に生きたいと思ってるのは、ディアナ、君だけだ。過去のことは過去のことだ。だが、君は俺にとって今この瞬間であり、未来なんだ」
ぎゅうっと、抱きしめられた。
彼の香り。
「不安にさせてたんだな。すまない」
私はぷるぷると首を横に振った。
「あなたの、口から、聞きたかったの。私が、あなたにとって何か」
「何度でも言ってやるさ。君は、俺にとって、現在と、未来の全てだ」
どこか遠くで、曲名も知らない歌が、流れてきた気がした。
夜は、ただ、容赦なく更けていく。