10 孤独の少女

「ふむ」

 

 ヘヴンリーフィールドの入口近くの道路、そこに停まった軍用車両の後部座席に、その少女は横たえられていた。

 車外から覗き込んでいるのはさきほど彼女を救出したOracleメンバーだが、車内の座席の側で彼女に付き添っているのは、メフィストフェレスだった。

 

 その少女は、まるで死人に着せるような経帷子にも似たネグリジェを着用させられ、ぴくりとも動かず横たわっていた。

 やや淡い金髪を長めのショートヘアにした、可愛らしい娘である。

 目を閉じているので、瞳の色はわからないが、くっきりとした現代的な美形であるということはわかる。

 だが、いささか不釣り合いなことには、健康的な目鼻の雰囲気なのに、肌だけが抜けるように青白く、病的に見えることだろうか。

 

「完璧に吸血鬼にされているな。人間に戻すことは不可能だろう」

 

 重い溜息とともに、メフィストフェレスが断言した。

 

「名前は……セシリア・ホリー・リンジー。地元の高校生で、十七歳……か」

 

 かつて、メフィストフェレスは、宗教的タブーを踏み倒してまで悪魔である自分を求めた男の内面を、すっかりお見通しだった。

 人間の精神を読み解くことにおいて、彼に勝る者はいない。

 

「うわあ。高校生で吸血鬼にされるとか……どうしてあげたらいいのこの子」

 

 D9は目を白黒させている。

 彼女が映画で見た吸血鬼は高校生の外見を持っていたが、しかし中身は一世紀以上も生きていた。

 しかし、この子は違う。

 本当に、つい最近まで普通の高校生だったのだ。

 

「このお嬢さんの身内に気付かれてもまずい。まずはラナ嬢も入院している陸軍病院に運び込むしかあるまい」

 

 プリンスが素早く決断する。

 と、メフィストフェレスがゆっくり首を横に振った。

 

「いや、身内の心配する必要ないな……この子の身内、殺されているな。ハンナヴァルト一家に。この子の見ている目の前で」

 

「なんてこった」

 

 後ろから様子をうかがっていたライトニングが、天を仰いだ。

 彼女自身が神でなかったら、神を呪うところだ。

 他の面々も、事態の無残さに表情が引きつっている。

 

「それは非常に気の毒だが……しかし、彼女をこの土地から引き離すという意味では好都合かも知れん。いきなり吸血鬼になぞなってしまったら、大体の場合、人間だった頃の繋がりは足枷でしかないからな」

 

 苦々しい表情を浮かべつつも、ダイモンが冷静に判断した。

 

「ああ。吸血鬼云々を抜きに考えても、彼女はこの街から離れた方がいいんだろうな。それと、殺された彼女の身内に、私は全く同情できんね」

 

 冷ややかな口調と言葉に、Oracleの面々が顔を見合わせる。

 

「ねえ、それどういうことなの?」

 

 思わずといった様子で、ナイトウィングが突っ込んだ。

 

「……こういうことは、最近よく表面化するようになったが。彼女は危うく押し殺されそうになっていた。この街に、そして家族にまで」

 

 低い声で、メフィストフェレスは断言した。

 

「このセシリアというお嬢さんは……レズビアンだったのだね。で、地元で孤立していた。家族でさえ、『異常で恥ずかしい』彼女を庇おうとしなかった」

 

 奇妙な、納得の空気が流れた。

 一人マカライトだけは、とげとげしい拒絶の気配を放っていたが。

 

「まあ……どのみち、彼女をもうここには置いておけないでしょうね。この件が終わったらどうするの、プリンス?」

 

 ムーンベルが、上司をうかがった。

 

「年齢的に、今すぐOracleの正式なメンバーにスカウトするわけにもいかんな。軍に、彼女の身柄の保護について、私から打診してみよう」

 

 今は、そのくらいしか言えんよ。

 

 プリンスがとりあえずの言葉を落とし、運転席と助手席でスタンバイしているOracleメンバー二人に合図を送った。

 長身の黒人男性の姿を取った神魔と、もう一人、プラチナブロンドの髪を長くした白人女性の姿を取った神魔である。

 

「魔法でこの車ごと、軍病院の駐車場に送り込む。そのままセシリア・ホリー・リンジー嬢を、Oracle関係者として入院させるよう手配。君ら二名は、手続きが終わったら本部で待機を」

 

「了解」

 

 プリンスから彼らに簡潔な命令が下され、軍用車のエンジンが唸り出した。

 後部座席に寝かされたセシリアにライトニングが軍用毛布をかけてやり、扉が閉じられる。

 

「ああ、そうだ。何かあった時のために、こちらを」

 

 ヴォイドが、助手席の窓を叩いて、開けさせた。

 数枚の、仙術を込めた符を、プラチナブロンドの神魔に差し出す。

 

「もし彼女が、ハンナヴァルト一家に遠隔で何かされるなりして暴れ出したら、この符で完全に動きを止めることができます。使い方は、以前にお教えした通り」

 

「助かるわ。ありがと」

 

 プラチナブロンドの女性神魔は、内心心配だったのだろう、露骨にほっとした顔だった。

 

 プリンスが、唸る車に向けて軽く指を振った。

 その瞬間、車は光に包まれて、流れ星が流れるように消えうせた。

 

「……あの子、どうなるんだろ?」

 

 車を見送ったD9が、ふと疑問をこぼした。

 

「さあな。確かなことは、まだ何も言えない」

 

 ダイモンは、恋人の肩をぽんと叩いた。

 

「だが、俺たちがあの可哀想な女の子にしてやれる最良のことは、さっさとハンナヴァルト一家を片付けることだ。そうすれば、彼女は自由になれる。多分、生まれて初めてという水準の、自由にな?」

 

 そう言われて、D9はダイモンの手に自分の手を重ねて、きっぱりとうなずいた。

 

 天頂から月はさほど動いていない。

 だが、時は迫っていると、彼女は腹を括った。