一瞬の、静寂が訪れた。
が、次の瞬間聞こえたのは、あの万象を揺すぶるような、奇怪な叫び。
崇伝ではない。
「来ますよ、花渡」
百合乃の声は静かだったが、それが余計に緊迫感を募らせた。
声にならぬ声と共に、何かが扉の向こうに覗いた。
一瞬、あまりに巨大すぎて何やら分からなかったその正体は……目だ。
ぎょろりとし、どんより濁った、巨大な目玉。
『呼ばれざる者』が、扉の向こうから巨大な目を覗かせていた。
ぐわん!
と周りの空間が歪んだような気がした。
花渡は見えざる手で内臓から脳から、引っ掴まれ揺さぶられているような気になった。
目が瞬きした。
ぴかっと光った瞬間、花渡は吹っ飛ばされた。
見えざる爆発的な力が、一帯を薙ぎ払う。
衝撃が伝わった全身の毛穴からは血が噴き出し、余波の当たった部屋の壁がぼろぼろになり崩れた。
恐らく花渡でなかったら骨片になっていた「朽ちる」力だ。
目に向かって突きをくれようと前進しかけたところに、またぴかり。
『呼ばれざる者』はその肉体の片鱗を覗かせただけで全てを破壊する能力を持っていた、
「花渡、あなたにはまだ使っていない力があるはず。それを思い出しなさい」
花渡が呻きながら起き上がったところに、百合乃が促した。
「まだ使っていない……力?」
「お前の武器は、剣だけではないということだ。不器用な私と違ってな」
小次郎がニヤリ、と笑みを見せた。
「伊耶那美命と出会った時に、あなたは会っているはず。伊耶那美命を取り巻く『力』を」
花渡は理解した。
というより、伊耶那美命を宿して以来時々訪れていたあの閃きが、再び花渡に耳打ちしたのだ。
花渡は自分の内側に続く扉を開けた。
そうとしか表現しようがない。
覗き込んだそこには、輝く『力』が溢れていた。
その輝きを、花渡は呼び出した。
轟音と共に、激しく稲光る八柱の巨躯の龍神が、花渡の肉体を門とし、飛び出した。
大雷神《おおいかずちのかみ》、火雷神《ほのいかずちのかみ》、黒雷神《くろいかずちのかみ》、裂雷神《さくいかずちのかみ》、若雷神《わかいかずちのかみ》、土雷神《つちいかずちのかみ》、鳴雷神《なるいかずちのかみ》、伏雷神《ふしいかずちのかみ》の、輝ける八柱の龍神たち。
その龍神たちが存在し始めると、花渡たちを苦しめていた『歪み』が震え、小さくなった。
同時にぴかりと光る目からの衝撃の光も輝きに阻まれたように通じない。
轟雷が、一帯を満たした。
龍神たちは飛び回り、自らの体から発する雷で、『呼ばれざる者』の目を焼いた。
落雷する度、絶叫が上がり『呼ばれざる者』はずるずると扉の向こうの闇に後退していった。
同時に、扉が少しずつ、閉まっていく。
輝き、炸裂。
最後の一撃が決まるや否や、扉は完全に閉じた。
あとは、静寂のみが、周囲を支配していた。
「やった……」
忠犬のように自らの周囲に控える八雷神を労って、花渡は扉を凝視した。
が、その時。
轟音と共に、地面が揺れた。
人間ほどもある岩が、天井から落ちてくる。
◇ ◆ ◇
「うわぁっ!」
千春が叫んだ。
この地獄に通じる穴倉全体が、凄まじい勢いで揺れたのだ。
無限とも思える落ち込みに、狭く突き出た道をそろそろと進んでいた御霊士たちはひとたまりもなかった。
先頭を歩んでいた、陣佐の大柄な体が宙に投げ出される。
足下は無限の闇だ。
間髪入れず、千春、青海、黒耀の足下の岩が崩れ落ちた。
頭上と足下、がらがらと崩れていく岩くれと共に、御霊士たちは果てしない深淵に墜落していった。
「そんなっ! 花渡ぉ!!」
咄嗟に千春が叫んだのは、ようやく先般仲間となれた一人の女の名前。
かの人物が助けてくれるのではないかと、そんな気がした。
ぶぉん、と何かが歪むような音がした。
果てしもなく落下していく御霊士たちを、いきなり虚空から突き出た巨大な腕が掴んだ。
ぬらりと神々しくも不吉に青黒い肌は、明らかにモノとは違う。
爆ぜる炎と、血のように赤い大蛇が腕に巻きついている。
きらびやかな異国の装身具が鈍く輝く。
巨大な腕に掴まれるや否や、御霊士たちの体は地獄の穴倉からふっと、消えた。