「結局、ありゃあ、何だったんだ?」
赤星が目の前の川面を眺めながら、ぽつんと口にした。
「不埒者が金地院を乗っ取って、モノを呼ぶ儀式を行った。それで、モノが山ほど呼び出され、金地院にいらした方々は、崇伝上人始め皆モノとの戦いで亡くなられた。しかし、さる旗本有志の方々が、金地院に突入、激戦の末不埒者を斬り捨てた。そういうことだ」
花渡は天海から伝えられた「表向きの話」をそのまま赤星に伝えた。
「その『旗本有志』の方々に、たまたまお前が協力して、今のお前の地位になったのか……」
赤星は花渡を振り向く。
花渡の出で立ちは豪奢の一時に尽きた。
蝶の織り出された白綸子の小袖には、金糸銀糸で時じく香の木の実と花が刺繍されている。
葉の重なりが鹿の子絞りで表現され、紅色に染められた繋ぎ亀甲紋様を縫うようにして、鳥が飛んでいる。
同じく蝶が織り出された黒綸子の野袴に、縦長の唐草とそれに纏わり付く揚羽蝶が見事に刺繍されていた。
陣羽織は漆黒のびろうどで、様々な翅を持つ蝶が乱れ飛ぶ幻妖な柄だ。
襟の折り返しから見える裏地は金の絹地で、真紅の花弁を持つ花が縫い取られている。
「しかしどんな役職なんだ、その、お前が就いたというのは?」
赤星には、花渡の格好が不思議でならなかった。
赤星のような末端ですら、公儀に仕える身分では、その役職や石高ごとに身に着ける衣装が決まっている。
城に上がるような身分なら男は裃、女は打ち掛けなのではなかろうか?
第一、女が就ける公儀の役職は、大奥の奥女中くらいしか知らない。
花渡がいきなり役職を与えられ、五千石の旗本として召抱えられたのは、赤星にとってモノが江戸に出没するのと同じくらいに奇妙なことだった。
「まあ、モノの絡みのことを始末して回る特別なお役目なんだ。寺社奉行からも独立している。政そのものに関わる訳ではないが、幕府の大事の一端を担うことは事実でな……お役目の性質上、これ以上詳しい話はできんのだ、すまんな」
花渡に話せる、これが精一杯だった。
今なら散々焦らせてくれた、千春の気持ちも良く分かる。
「そう言えば、赤星の旦那も出世したってな? 与力だって?」
花渡はさりげなく話題を反らす。
「ん、何だ、知っていたのか。いや、今度から町奉行所が南町と北町っていう二つに分かれてな、俺は南町に配属されて、取りまとめ役が足りないというので与力に」
「凄いじゃないか。普段の行いは、誰かが見ているもんだな」
照れ臭そうな赤星に、実は花渡自身が赤星のことを天海大僧正に奏上して、それが巡り巡ってその出世に繋がったなどとは、永久に言う気もない。
「変わっちまったんだな。お前も」
「そうでもないさ。食うに困らなくなったし、命を狙われることもなくなったが、私が別人になった訳じゃない」
崇伝から聞き出した、武蔵の背後にいた肥後熊本藩主加藤忠広のお仕置きについても、品川で一悶着あったが……これも赤星には話せないことだ。
「……お前が安堵したなら、俺はそれでいいんだが……どうも、色々と誤魔化されてるみたいでなぁ。お前に、というより、ご公儀に。そういうもんだ、と言われりゃ、それまでなんだろうが」
赤星がもやもやを吐き出した時。
「花神剣王《かしんけんおう》! 上意であるっ! 今すぐ城に戻れぃっ!!」
花渡の背後から、甲高い子供の声が降ってきた。
「おう! 千春か、すまん、迎えにきてくれたのか?」
花渡は駆け寄ってきた忍びの少女を、くりくりと撫でた。
「カシン……なんっ何だって?」
赤星が聞きなれぬ呼び名に、首を傾げた。
「花神剣王。上様からいただいた、私の称号だ」
一瞬、赤星がぎょっとする。
「上様!? 将軍様だと!?」
「ああ。あの方も武芸がお好きなんでな、佐々木小次郎の娘の私は気に入っていただけているのだ。それで、な」
今回の、『呼ばれざる者』退治の功績が特に認められ、特別に称号を授けられたのだと、赤星に知るよしもない。
「さて、そろそろお城に戻らなくてはいかんようだ。じゃあな、赤星の旦那。また、何かあったら知らせてくれ」
花渡は土手の側の木に繋いでいた、こちらも『呼ばれざる者』退治の褒美である白馬の手綱を解いた。
またがり、千春も引き上げる。
やがて赤星が見守る中、派手やかな女武者の騎馬が遠ざかっていった。
花神剣王 【完】