「ここは……?」
さしもの空凪が唖然としていた。
そこは、満天の星空に、それを映す鏡のように地面が広がり、結果として上下左右が星で埋め尽くされているような異空間だった。まるで宇宙空間のように思えるが、重力を感じるのと地面らしきものは存在するの、そして何よりつつがなく呼吸ができるのとで、宇宙ではありえぬことは分かった。
さりとて。
そこが明確にどこだか、などという問いには、誰も答えられぬのであるが。
「……チ、チカゲちゃん!?」
すっかり目を白黒させている百合子が思わず上ずった声を上げた。
「どうしたの!? 一体、これ、なに!? なにしたの!?」
チカゲはふっと彼女に顔を向けて微笑む。
「『お守りの石』が、こうしろって教えてくれたんです。上手くいって良かった」
「……異空間の創出と転移っていうところか」
胸に下げたコンパスをさりげなく覗き込みながら、何が分かったのか、空凪はうなずいた。
「別の空間を元の空間に平行して作り出し、そこに俺たちをまとめて送り込んだ訳だな。これなら、元の住宅街のあるあの場所への被害はない。考えたな」
ニカッと会心の笑みを見せるチカゲに、百合子は唖然とした。一見平静に状況を分析しているような空凪にしても、顔色がやや青ざめている。
「……凄いね、宇津さん」
くぐもった声が聞こえた。
チカゲたちから少し離れて、正太郎と、あの資材クグツがたたずんでいた。彼らにしても――クグツは指示がなかっただけだが――呆然としていたのだろう。
「ねえ。なんでなの!? なんで、『霊性事物』を持ってる人だけこういうことができるの!? おかしいでしょ。そもそも、宇津さんは『霊性事物』を目覚めさせる前からおかしいよ!!」
突然の叫びに、チカゲはきょとんとした。空凪、百合子も怪訝な顔を見せる。
「えっと……え、なに!?」
「宇津さんはさ。可愛いし、成績だって悪くないし、運動部でもないのに、運動神経いいし。普通にしてても大体の人から悪く言われないし。だから、僕のことなんか目もくれないんだよな。ズルイ。その上、こんなことができるってなんなの!? おかしいだろ!!」
ヒステリックに裏返った叫びを聞きながら、チカゲはきょとんとしていた。
「ええっとね、そんなこと言われても……」
「なんで、宇津さんとか一色とかそっちのお姉さんばっか、いいもん持ってんだよ!! おかしいだろ!!」
僻みと八つ当たり極まりないその声を聞きながら、チカゲは表情を曇らせた。
《《このひとは、なるべくしてこうなったひとだ》》。
もしマガツヒに取り込まれなかったとしても、この僻み根性を発揮して、ネットあたりで特定属性の人間を身勝手な基準で敵認定し、叩きまくるようなタイプだっただろう。こういう陰険なメンタルが、マガツヒとたまたま出会ってしまったのが、故郷の街にとって最大の災厄か。いや、むしろこういうメンタルだからマガツヒに呼ばれたのか。それは今となっては、すでに意味のない推測に過ぎないが。
「君は人のもの羨ましがってばっかりだね。はっきり言うけど、君が霊性事物を手に入れても、ろくな使い方しなかったと思うよ」
あえてきっぱり、チカゲは突き放した。普段の彼女からはかけ離れた冷たい表情。
「君がマガツヒで良かった。遠慮なく滅ぼせる」
ニィッと正太郎が不気味に笑ったのと、チカゲが石刀を振り下ろしたのは、同時だった。
巨大で美しい石の刃から飛び出した、更に巨大な光の刃は、正太郎をかすめ、真正面から資材クグツに激突した。
すでに周囲の被害を考えて、力をセーブする必要もない。
「宇宙霊魂」とリンクしている聖なる刃は、クグツをあっさり両断した。
騒々しい音と共に、資材クグツが崩壊する。
メタルラックの胴体がばらけ、中身の発電機その他をぶちまけ、脚にあたる一輪車が破砕される。ばらばらと、主に金属の構成物がばらまかれた。
「……!?」
百合子、空凪がはっとした顔を見せる。
宙を走る刃に巻き込まれた正太郎の右腕が、切断されて地面に転がっていた。だくだくと血がこぼれて、彼の足元に血だまりを作る。
「最後に訊きたいのだけど」
チカゲは、冷たい表情を崩さないまま、正太郎に尋ねた。
「《《君の本物はどこにいるの》》?」
空凪たちがぎょっとした途端に、地面に転がっていた手が、追尾式ミサイルのように宙を舞った。チカゲに掴みかかる。
どん!!
と巨大な音は、百合子の霊性事物から放たれたもの。
猟師が飛来するカモを狙い撃ちするかのように、百合子は腕を狙撃し爆散させた。チカゲの目と鼻の先で、肉の塊は粉々になって消える。
「動くな」
空凪が霊性事物を通じて、正太郎に命じた。
ぎぎぎっと、肉体を拘束されて、正太郎が怨念も極まった邪悪な笑顔を見せる。
「探しなよ……本物の僕をさ。きっと待ってる」
空凪の作り出す力の網にぎりぎりと肉体を締め上げられ、正太郎は苦しそうな声の下、呻いた。
「言う気はないみたいだね。楽にしてあげる。あなたが本当は何者かは知らないけれど」
チカゲが神速で石刀を振るった。
上が開いた八の字型の軌跡を描いて、正太郎の体は破砕された。
幾つもの人体パーツが、人形のそれのように散らばる。あっという間に、不気味なパーツの小山が出来上がった。
しかし。
「!? なにこれ!? あの子じゃ……!?」
姿が戻った「正太郎を装わされていたもの」を見て、百合子が悲鳴を上げた。
バラバラになった正太郎は、すでに「荻窪正太郎」の姿をしていなかった。
横たわって空しく空を眺めているその顔は、正太郎とは似ても似つかない、ふっくらした奥様風の中年女性。
「……やりやがった。あの野郎」
暗い顔と声で、空凪が呻いた。
「あいつは、とうとう一線を超えた。死んだ他人の体をクグツの材料にしたんだ」
その声に溶け込むかのように、哀れな犠牲者の死骸も、すうっと消えて行く。
チカゲは瞑目した。
「一色くん」
「ああ?」
チカゲの問いに、空凪が答える。
「これ、まずいよね? 荻窪くん、ゾンビみたいなものをいくらでも作れるってことじゃないの!?」
チカゲの脳裏にはゾンビパニック映画の一シーンが浮かんでいた。目に映る満天の星空は改めて美しいのだが、今はそれを愛でる余裕もない。
「映画のゾンビみたいな単純なモンじゃないがな。かぶりつかれないように武器をぶん回していればいいってモンじゃない。いわゆるゾンビになるんじゃなくて、あくまで『人間の死骸を材料にしたクグツ』だ。荻窪が吹き込む力の量や性質によって、色々な性質になるはずだ」
その言葉を脳内で、反芻しながら、チカゲはうまずいた。
「私たちの街に帰ろう。早く、荻窪くんを探さないと」
三人の共鳴者はうなずき合った。
彼らの周囲で、朝が来たように、星空がすうっと消えていきつつあった。