2 霊性事物と共鳴者

 蒼い魔人となったチカゲは、手にした波打つ輝点のある石刀を振るう。

 人間ほどの大きさのあるその石刀は、輝く力の渦を巻き起こし、それに巻き込まれた葉っぱの獣をミキサーに放り込んだように粉砕する。

 ばらばらになり葉っぱに戻り、その不自然な大きさの葉っぱも、瞬時にしおれ、枯れ果てて風化していく。

 二体ほど残った葉っぱの獣がチカゲの背後に回り、死角であろう角度からチカゲに襲い掛かる。

 しかし、姿がぶれるほどの速度で振り向きざま、彼女は石刀を軽々と振るう。

 空中でばらばらに破砕され、細かい緑の嵐となって宙を舞い、やがて急激に朽ちて空気に溶け込むように消える葉っぱの獣の残骸。

 

 あっさり終わったところで、チカゲは我に返る。

『これは』

 チカゲは自分の姿を、そして手にした石刀を見下ろす。

『なにこれ。どうなってんの? あたし、どうしちゃったのよ!?』

 軽々と持ち上げられる、人間くらいもありそうな石刀に目を留める。

『こんなばかでっかい武器あたしが使ったの? ……っていうか、コレ、どっから出て来たのよ!?』

 

 チカゲは、放り出されたままだったリュックからはみ出た、掌サイズの手鏡を拾い上げる。

 そこに映っていたのは、青銀の髪に目、そして和パンクな衣装の魔人。

 目鼻立ち自体はチカゲと変わっていなさそうだったが、髪と目の色が人間離れしたものになったせいで、とんでもなく印象が違う。まさに魔人だ。

 チカゲの手から、鏡が滑り落ちる。かたん、と地面に跳ね返る。

 

『なんなの。あたし、オバケになっちゃったの!? オバケに襲われたから!? えええ!?』

 

 動転するも、驚き過ぎて、固まって冷や汗を流すことしかできないチカゲ。

 ふと、振袖の胸元がぽうっと光る。

 石刀を持っていない手で懐をまさぐると、そこから出て来たのは、あの、いつも持ち歩いている「お守りの石」だった。相変わらず宇宙を見上げるような蒼だが、今はうっすら光っているようだ。

『この石もおかしい……なんでひとりでに光ってるの』

 心臓の鼓動が耳を聾するほどに聞こえたその時、不意に、チカゲは元の姿に戻る。

 何事もなかったように、切れ目一つないまっさらな制服。

 慌てて鏡で確かめると、髪も目も元のような黒褐色に戻っている。

 

「あ、あれ!?」

 チカゲは思わず声を上げる。

 すでに、彼女とその周囲は何事もなかったかのよう。

 あの怪物の残骸も、空気に溶けたのか風に飛ばされたのか見当たらない。切れた制服も元通り、そしてあの石刀も和パンク装束も見えない。

 

 チカゲは、無言で散らばった荷物を拾い集める。

 手にしたお守りの石は元のように巾着に入れ、リュックに突っ込む。

 背負い、学生カバンをひっつかんで、何も考えないようにして、チカゲはその場を後にした。

 

 

 こんな常識外れなこと、誰にも相談できない。

 チカゲは、その天地がひっくり返るほどの衝撃を無理矢理封印し、いつも通りに家に帰り、いつも通りに帰宅後の時間を過ごした。

 いつもの時間に夕食が出て、いつものように宿題をこなし、いつものように風呂に入って就寝の時間を迎えた。

 

 だが。

 眠れるはずがなかった。

 

「むぅん……」

 家族も寝静まっているだろう深夜、チカゲは自分の学習机の椅子にパジャマのまま座り込み、手にあのお守り石を持って、難しい顔で考え込んでいた。

『はあ。やっぱ眠れない。つか、あれって結局なんだったの?』

 ますます難しい顔で考え込むチカゲ。

 あれがまるっと幻覚を見ていたとは考え難い。

 それにしては、妙に感触が生々しかった。あの、スカートを引っ掛けられて切り裂かれた時のひやっとした感じ、カサカサいう葉擦れのような、怪物の立てる音というか鳴き声というか、あの奇怪な物音。自在に石刀を振るう、力に満ちた肉体の感覚。目にした蒼い魔人。

 部屋のハンガーを見ても、制服には傷一つなく、手にした石には何の変哲もない。

 最も合理的に考えるなら、「あれ」は全部幻覚だったのだ。

 しかし、それで自分を納得させるには、あまりに記憶が生々しいのだ。たかが疲れた程度のことで、あんな克明な幻覚って、見るものなんだろうか?

 では「あれ」は結局なんだったのだろう。

 結局、自分自身、もしくは周囲で何が起こったんだろう。

 

 答えの出ないまま、チカゲは手の中の石を弄ぶ。

 駄目だ。

 もっと落ち着かないと眠れない……

 

 その時、部屋の外、ベランダに繋がる床までのカーテンが引かれた出入り口の辺りから、ガァン、と金属同士がぶつかるような固い音がした。

 ギクッとするチカゲ。

 

「……!? なに……?」

 

 思わず腰を浮かせたチカゲの目の前で、爆発するようにサッシが破られた。

 無数のガラスの破片と引き裂かれたカーテンの残骸が舞い、その中から大きな「何か」が現れた。

 

「わぁあああぁあぁっ!!!」

 

 一拍遅れて、チカゲは絶叫を上げた。

 サッシを破って闖入してきたのは、まるで建設現場の鉄骨をデタラメに組み合わせ、大まかに恐竜ぽい形にしたようなサイケデリックな「何か」だった。

 人間より二回りほど大きなそれは、さほど広くないチカゲの部屋で、なおさら大きく見える。

 図太いトゲトゲの尻尾らしき部分で壁をえぐり、鉄骨恐竜はチカゲに向き直った。

 

「なにこれ……なんなの……」

 現実感が完全に破壊され、蒼白なチカゲは、咄嗟に机の上の、例のお守り石を拾い上げた。

 麻痺した頭の片隅で、「昼間みたいにすればいいんだ」という考えが浮かび上がる。

 そのためには、この石が必要なんだ。多分。

 あの時、確かこの石が……

 

 考える間もなく、鉄骨恐竜が突っ込んできた。

 反射的に宙に舞ったチカゲの下を姿勢を低めた鉄骨恐竜が嵐のように通り抜け、反対側の本棚に突っ込む。それなりに頑丈なはずの本棚が簡単に粉砕され、ばらばらと本が舞う。

 部屋の反対に降り立ったチカゲは、すでにあの蒼い魔人の姿に変わっていた。

 

「くたばれ、このっ!!」

 チカゲが神速で石刀を振るうと、巻き起こった光る竜巻が、鉄骨恐竜を巻き込んだ。

 その足元に散らばった本や、本棚の残骸、壁まで力の渦に巻き込まれ、粉微塵に帰していく。

 だが、渦に巻き込まれた鉄骨恐竜自体は、表面に細かい傷がつくも、そう巨大なダメージを受けた様子もなく、ゆっくりとチカゲに向き直った。

 

 鉄骨恐竜が一声吼えた。

 その金属の体の周囲に、尖った金属の杭のようなものが空中からにじみ出るように、無数に現れた。

 次の瞬間、弾丸のようにそれらはチカゲに撃ち出される。

『ヤバ……』

 チカゲは頭が真っ白になる。

 飛来する尖った杭が、妙にゆっくり見えた。

 

「おっと。ありきたりだな」

 急に、背後から声がした。男の子の声だ。

 はっとして、閉じていた目を開ける。

 

 いつの間にか、チカゲの背後には、まるでスチームパンクを絵に描いたような出で立ちの、同年代の少年が立っていた。鎖で胸に下げた、真鍮製らしい丸い蓋つきコンパスが、妙に目を引く。

 黒銀のクロームメッキみたいな髪に、同じく黒銀の目が妙に迫力がある。

 整っていて、やや冷たい雰囲気を醸し出す目鼻、全体に漂う研がれた雰囲気。

 見ると、少年の手袋に包まれた指先が指し示すその空中で、杭の弾丸は、空中に貼り付けられたように動きを止めていた。

 その手が、指揮者のようにくいっと上がった。

 瞬時に杭は方向を逆転させ、鉄骨恐竜に殺到した。

 金属が金属を刺し貫く凄い音がした。

 鉄骨恐竜は今や全身に杭を生やし、新種のウニか何かみたいに見える。

 

「はーい、これで終りね。サヨナラ」

 さらに背後を振り返ると、真珠色の輝きが目に入った。

 映画に出て来るトレジャーハンターみたいな出で立ちの、えらく色っぽい若い女性が、SF映画に出て来るような、未来や異星人の銃みたいな大きな銃を構えていた。

 

 轟音。

 

 一瞬で、鉄骨恐竜はバラバラになった。

 

『誰……えっ、この人たち、誰なの!?』

 チカゲはあまりの急展開に、目を白黒させるしかできなかった。