「おっはよー!! 今日は早いね!! ん? どーしたの、ぽわんとした顔して、眠れなかったの?」
珍しくチカゲの後から教室にやってきた――つまり極めて珍しいことに、チカゲが早めに教室に入った――菜穂が、チカゲの顔を覗き込んだ。
「ん。なんか変な夢見ちゃってさー、やけに早い時間に目が覚めちゃって。ぼっとしてても仕方ないから、さっさとガッコきた」
生あくびを噛み殺し、チカゲは応じる。
「ほー。感心感心。ちなみに、どんな夢?」
好奇心も露わに、菜穂はつついてきた。
「なんかシュールなんだ。私の部屋に、急に鉄骨で作ったみたいな変なオバケが襲来する夢。逃げ回ってたら、イケメンの男の子とばいんばいんなおねーさんが助けてくれんの」
「なにそれ。アニメッぽいつーか。チカゲ、オタクじゃないよね?」
けろけろ笑う菜穂を見ながら、チカゲはちょっとした罪悪感に苛まれた。
無論、それは嘘だ。
「出来事」が、ではなく、「その出来事が夢であること」が、だが。
それは、実際に昨夜、正確に言えば6時間くらい前に実際に起った出来事。
『宇津チカゲ。お前は「霊性事物」に選ばれた「共鳴者」だ』
昨夜、一色空凪はきっぱりとチカゲにそう宣言した。
『れいせ……え? きょうめい……って、ナニ??』
人生で初めて耳にする単語の羅列に、きょとんとしてチカゲはベッドの隣に腰かけた空凪に尋ねた。
『お前、なにかずっと大切に……宝物的にしてる何か、持ってないか?』
そう問われ、チカゲははっとして和風パンク衣装の胸元をまさぐった。
あの、例の「お守りの石」が出てくる。
『それ……珍しい石ね。拾ったの?』
空凪とは反対側から、百合子が覗き込んでくる。
『はい……五つくらいの頃、おばあちゃんの家の近くの海岸で拾って、それ以来ずっと大事に……』
じっと見つめていた空凪がうなずいた。
『間違いないな』
『ええ。「霊性事物」ね。それもかなり高度なものらしいわ』
そんなことを言われても、チカゲにはさっぱり意味が分からない。ただ、空凪と百合子の表情から、なにやら重大な話であろうということは見当が付いた。
『あの、「れいせいじぶ」って……なんですか?』
『「霊性事物」。つまり、霊的な……魂とか、霊魂とか、神々とか、そういったものに働きかけて繋がることができる、特別な物品よ』
百合子にいきなりそんなことを告げられ、チカゲの脳裏に疑問符が点滅した。
『魂、といっても、普通の人間の魂とかじゃない。この世界が持っている霊性――世界そのものの霊魂……人間から見れば、把握できないほど膨大なエネルギーってことになるが、そういうものと繋がって、それを自分の力として引き出せるってことなんだ』
真剣な調子で告げる空凪に、チカゲはきょとんとした顔を返すしかない。
全くもって、意味が掴めない。
いや、世界に霊魂って。
あるの。
地球とか、その、宇宙とか、そういったものに霊魂って。
人格とかあるの。
そんな馬鹿な……
『急にこう言っても、信じられんし、第一意味不明だろうな。無理もないが』
ふう、と溜息と共に、空凪は百合子と顔を見合わせた。
『ただ、そういうものを持っていたから、お前は今みたいな超人の姿になって、自分に降りかかってきた災難を一旦は退けることができたんだ。そして、これからもそうしてもらわなくちゃな』
え、と小さな声が出た。
チカゲは、自分の姿を見下ろす。
蒼い、和パンクな出で立ち。ベッドの後ろに放り出された、石を削り出した美しくも威圧的な刀。
『この姿になると、普通の人間にはない力を色々と発揮できるはずだ。お前の霊性事物の格なら、今しがた使ったようなレベルの力じゃない。本来、俺たちの助けなんかいらなかったはずだ。だが、お前には経験が不足していて、十全に力を引き出せていない』
晦渋な表情で、空凪はじっとチカゲを見据えた。
『そのこともあって、あなたが狙われているのを知っていながら、あえて囮になってもらったの。ごめんね、危険な目に遭わせて。でも、事前に我等で対処してしまっていたら、相手は別の手を繰り出してくるかもっていう恐れがね……』
爆裂的に色っぽい見た目と裏腹な、拝むような百合子に、チカゲは怒る気にもなれず、目をぱちくりさせた。
『相手って……ええと、私を狙ってるやつがいるってことなんですか?』
なんだろう、特にこんな目に遭わされるほど、誰かの恨みを買った記憶はないのだが。
『あまり、詳しく話している時間はないの』
百合子は色っぽい目元を曇らせた。
『これ以上込み入った話は、ちゃんとした機会にしないと、お前も恐らく困るだろう。それに、今は時間が足りない。話せば朝までかかってしまうし、そうなると、お前も俺たちも都合が悪い』
空凪にそこまで言われて、ようやくチカゲは階下で寝ているはずの両親のことを意識した。物凄い振動や大音声だったはずだが、両親が起きて二階に上がってくる気配はない。不思議と言えば不思議だ。
『親御さんたちのことなら大丈夫。この空凪の術で、意識がこっちにむかないようにして、安らかに眠ってもらってるから。チカゲちゃんが黙っていれば、このことはご両親にはばれないわよ』
確かに、こんなこと説明に困る、とチカゲは考える。
空凪の術で部屋もきれいに元通りになって安堵したのだが、しかし、自分の状況まで元通り、という訳ではないようだ。
『明日の放課後、詳しい話をしてくれる仲間のところに案内する。そこで好きなだけ質問して、自分の状況を把握するといい。そうでないと、俺たちが困るから、お前に拒否権はなしとする。悪いな』
ちっとも悪いと思ってなさそうな言い渡し方を空凪にされ、チカゲはむっとするより先に、一体、本当のところ、自分に何が起こっているのだろうと頭を抱えた。
霊性事物。
共鳴者。
あんな触りくらいの説明では、何もわからないに等しい。
『じゃ、俺たちは帰る――前に、連絡先交換してくれ。万が一の連絡用にな。何かまたあったら、遠慮なく連絡しろ』
空凪がそのスチームパンクには微妙に不似合いなスマホを取り出し、百合子もそれに倣った。
結局。
連絡先を交換すると。
『じゃあな。明日、学校で声をかける』
『じゃあね、この子が連れてくるはずの場所で待ってるわ』
そんなことを告げて、空凪と百合子はチカゲの部屋のベランダから、夜の街並みへと消えた。
ぽんぽんと民家の屋根を身軽に渡る姿は、映画やアニメの怪盗のようだった。
かくして、今日である。
時間はじりじりと過ぎ去る。
何となく、B組に行ってみようかという気になったが、なんだか怖くて気が引けて、チカゲはそれができなかった。
どうしてだろう。
どきどきと、胸が高鳴るのを、チカゲは感じた。
空凪と名乗るあの少年の、研がれた澄んだ黒い目が思い浮かぶ。
授業も上の空になりがちで、うじうじと悩んでいると、いつの間にか昼休み。
チカゲは決意した。
『よし。B組、行ってみよう』
四時限目終了のチャイムと共に決意したチカゲの机に、ふと、妙に白い、くねりとした手が置かれた。
「……宇津さん、だよね?」
その妙に耳に残る男子の声に、ぎょっとして顔を上げたチカゲは、水死体のようにぬるりと白い、細身の男子と目を合わせることになった。
ぎくっとして、固まるチカゲに、その男子生徒は悪魔かサメのような笑いを見せた。